interview-vol4

【特別企画】川淵三郎氏インタビュー

2013年11月29日川淵三郎氏(昭和36年卒)へのインタビューを行いました。
日の当たらない時代から今やワールドカップ常連国へ、そして2度目のオリンピック開催、地域に密着したサッカーのあり方など、日本サッカーをつくり上げてきた功労者である、川淵キャプテンだからこその様々な話をお伺いすることができました。

早稲田スポーツ王国「東伏見」

- ア式蹴球部のホームタウン東伏見も、川淵さんが学生時代を過ごされた頃とはずいぶんと環境も変わりましたが、印象に残っていることはありますか?
 
【特別企画】川淵三郎氏インタビュー写真1僕が早稲田にいた頃は、サッカーもラグビーも水泳も、日本代表選手がたくさんいたからね。今と違って民家はほとんどなかったけど、グランドと合宿所が並んでいて、まさに東伏見が早稲田のスポーツ村という感じだったよ。東伏見に早稲田スポーツ王国が築かれていたといえるね。よく行っていたお蕎麦屋さんや、魚屋さん、駄菓子さんには温かくしてもらった記憶があるよ。
 
- 今は東伏見も住宅街になり、地域の方々との交流も増えました。2年前から地域の子どもたちを集めて定期的にサッカー教室を開催する、といった取り組みもはじめました。
 
今の時代は、地域の人にも大学の存在を認めてもらわなくちゃならないからね。スポーツを通じて地域の人たちに貢献できる機会がいっぱいあるから、子どもたちはじめ、地域のために自分たちがどう役に立つかっていう視点に立つ。そして、自分たちから発信していく。そういう活動をやるべき時代になっていると思うよ。

W杯を日本へ

- 2002年の日韓W杯について伺いたいのですが、W杯招致の構想はいつごろからできていたのでしょうか?
 
【特別企画】川淵三郎氏インタビュー写真21986年のメキシコW杯の時に、当時のFIFAの会長が「21世紀のW杯をアジアで開催する」と宣言したのがきっかけなんだよね。アジア内でいえば、運営能力その他の観点からも日本しかないと世界の人は考えた。でも、日本のサッカーは当時実力が全然なくて、施設もなくて人気もなかった。おまけにお金もなかった。だから、日本のサッカー協会の反応もすごく鈍かったんだよ。五輪予選にしても1968年のメキシコ五輪以来22年間勝っていない状況。それくらいアジア内でも弱かった。そんな国でどうしてW杯などできるんだって。僕自身、当時はばかなこと言うなと思ったよ。五輪にも出られない国がW杯なんてって。それが本格的に動き出したのは、やっぱりJリーグがスタートした1993年だったな。そこから「なんとかW杯を日本に」って協会も本気になって動き出したんだよ。もしJリーグができていなかったらこの動きも本格的になってなかったんじゃないかな。Jリーグが日本で爆発的な人気になって、そしてドーハの悲劇が起きた。もう少しでW杯に出られるというところまで、日本に実力がついてきたんだよね。今思えばドーハの悲劇っていうのは、日本中が一瞬の間に天国から地獄に突き落とされて、「W杯っていうのはすごく難しいものなんだ」って痛感させられた、という意味では、すごく価値のある出来事だったと思うよ。

失敗を糧に成功を掴んだ五輪招致

- 2020年東京五輪開催が決定しました。川淵さんが出場した1964年の東京五輪と2020年に行われる東京五輪ではサッカー界を取り巻く環境は大きく変わりそうですね。
 
64年の五輪のときは、他のスポーツのチケットが全部売り切れても、サッカーならあるよっていうくらい本当にサッカーは人気がなかったんだよ。それでもクラマーさんのおかげで技術、戦術、体力共に、日本のサッカー全体が画期的に変わったんだ。だから、もちろん今と昔では日本サッカーは比べものにならないくらい違うよ。64年では予選リーグで一勝できればいい、開催国として恥をかかないようにしようって感じだったからね。でも今回は、最低でもメダルをとらなきゃいけない、金メダルを目指さなければならないって。間違いなくそういう気運になるね。サッカーの実力国になってきたことは事実だし。協会もより積極的に若手を強化していくだろうしね。金メダル獲得は十分可能だと思うよ。
 
- 招致活動ではいろいろとご苦労があったのではありませんか?
 
始めはみんなバラバラだったからね。それが直前、三か月前くらいかな、ぎゅーっと力が集まったんだよ。この東京オリンピックを成功させるんだ、成功させて日本を元気にするんだって招致に関わるみんなが強く感じていたんだと思う。安倍首相はじめ、みんなが一体感をもって、絶対に招致するんだという強い気持ちをもっていた。こういうことはとても珍しいよ。誰一人招致に後ろ向きな人はいなかったからね。絶対勝てるわけないと周りから言われても、全員本気で招致成功に力を注いでいた。
 
【特別企画】川淵三郎氏インタビュー写真3- 国内世論も東京でやる意味があるのかという傾向がありました。
 
世界一のものを見たいという気持ちに意味もなにも無いよ。世界最高のものを目の当たりにできる幸せは何物にも代えがたいんだ。だから、すぐに経済波及効果がどうだとかいうことにはとても腹が立つね。経済波及効果のためにやっているわけじゃないから。それに、日本の文化や日本人を世界に発信してもらうということに、オリンピック、W杯以上のものは無い。外国のメディアがしっかりと日本のことを伝えてくれるだろう。こんな良い機会は他にないよ。オリンピックを通して外国のメディアに日本の素直な感想とか日本の国民性を発信してもらったほうがよっぽど効果があるし、絶対に心に響く。その意味でも2002年W杯招致は本当に価値があったと言えるからね。
 
- 東京はその前の大会2016年の招致に失敗していますが、ムード的に影響をあたえるようなことはなかったのでしょうか?
 
いや、むしろ2016年の失敗の経験が活きていたといえるんじゃないかな。あの失敗がなかったら、絶対に今回も無理だったと思うよ。いつも感じていることだけど、失敗した経験をどう活かすか、これが大事。人生で失敗しないことなんてありえないんだから。特に若いときは失敗したことを次にどうプラスにしていくか。それが成長の糧そのものだよね。失敗を失敗っていうのは、それを次に活かせていないっていうことだよ。
僕は記者会見で、記者に「川淵さん、何が失敗でしたか?」と聞かれても、何も失敗していないと言ったよ。心からそう思っているから断言できる。その時にベストを尽くしたことだからね。世間的には失敗だったかもしれない。だけど、それを次に活かせばいいんだから。次に活かしたらそれは失敗ではなくなる。そもそも人生というのは失敗そのものなんだ。サッカーだってそうだろ。自分で考えてトライして、それが失敗したら次は絶対成功させようと思う。どうやったら成功するだろうと練習すればいいんだ。失敗は変えていけばいいんだ。失敗しないことなんてありえないからね。
 
- 「失敗は成功の母」といわれますが、最近の学生は失敗を恐れるあまりトライしない傾向にあるのではないかと思うのですが。
 
そうなんだよ。トライしないとどうなるかわからない。トライして失敗したら次どうすればいいか考えて、また先のステップに進めばいいわけだから。失敗が無かったらその人の進歩は無いよ。この2020年のオリンピック招致は2016年招致があったから成功したというのは間違いないね。

サッカーが文化になる日

- 日本では野球は文化として根付いていますが、それに比べてサッカーはメディアでの取り上げられ方など、様々な面で野球とは大きな差がまだまだあると感じています。これからサッカーは野球を追い抜かしていかなければならないでしょうか。
 
【特別企画】川淵三郎氏インタビュー写真4それは僕たちが現役時代の時に今の何十倍も痛感させられていることだね。当時、日本サッカーのトップリーグだったJSLが公式戦をやったって、その結果はスポーツ紙で二行くらいしか書かれていなかった。ところが、野球はどこかのチームがキャンプを始めて、何とか選手が山の中を走りました、なんていうのが大きく載っているわけだよ。我々は公式戦を戦っているのに。それに比べたら今のサッカーのメディアでの取り上げられ方はとても大きい。それでも、スポーツ紙を見たら8面が野球で、1面がサッカーという状況。これをサッカー界はどう見るのかと。僕はやっぱりまだまだ努力が足りないと感じている。しかもサッカーが一面を飾るときは日本代表が活躍したときで、日本代表しか一面を飾らない。この実態に対してもっと真剣に向き合わなければならない、という認識がサッカー界全体にまったく足りない。だから努力をしようとしないんだ。野球に勝っている、負けているという問題ではなくて、もっとサッカーの面白い記事を書いて欲しいと多くの人が思ったらマスコミはサッカーの記事を書くよ。
現実は、野球をサポートする人の数が圧倒的に多い。それは明らか。それでも、サッカー界は野球を敵視するのではなく、どうやってサッカー界としてファンを増やしていくか、という視点で考えないといけない。競技団体そのものが、一生懸命自分のスポーツを発展させると同時に、未成熟なスポーツを助けて一緒に発展させることが大事じゃないかな。そして、今サッカー界はこの現状をしっかりと認識して、どうすればいいのかということをしっかりと真剣に話し合わなければならないと思う。

地域密着型クラブの可能性

- Jリーグの最大の特徴は、地域密着型という点だと思います。やはり、Jチームをもつ街に行くと、チームを通して街の皆さんがつながっているという印象を受けます。
 
街のプライド、市民の一体感を出すためにJクラブをもつことは、すごくいいことなんだ。自分の街のJクラブを広く知ってもらうことは、街のPRにもなる。昔は、鳥栖は「とりす」、磐田だって「ばんだ」って呼ばれていたくらいだからね。Jリーグチームの活躍が市民のプライドに直結するんだよ。市長さんたちが熱心になっているのはとても嬉しいことだね。今、各クラブの地域に根差す活動というのは、本当に十人十色。そのクラブのもつ地域性や市民の感情などを含めて、どういうことをしたら応援してもらえるかということを考えて、各クラブが様々な面白い活動をしているね。そうした活動を続けていくと、おらが町のチームになっていくよ。でもまだたったの20年だから。これからが楽しみな部分でもあるね。
 
- Jリーグ百年構想を立ち上げられて、ここまで順調にきていると感じておられますか?
 
まだJリーグの始まりの段階では、リーグ自体がすぐに消滅する可能性だってあった。それに比べたら今の発展は想像を絶するよ。だって40クラブもあるのだから。来年は52クラブに増える。これは20年前にはとても考えられなかったことだね。しかし、これはこれとして、今のクラブの活動の内容に関してはもっとやれることは多く残っていると感じている。もちろん、開幕当初は20年後に今の半分の状況でも十分だと考えていた。でも、現実をより良くするためにもっと努力しなければならないと思うよ。

現役部員に向けたメッセージ

【特別企画】川淵三郎氏インタビュー写真5- 最後に現役部員にメッセージをお願いします。
 
僕らの時代はサッカーといえば早稲田だったし、ある時期はサッカー協会の会長からJリーグのチェアマン、日本代表の監督まで、早稲田のOBがサッカー界を席巻していた時代があった。それは派閥とかではなく、その時に一番良いと思う人選をしたらたまたま全員早稲田だっただけでね。だから、この先もサッカー界を牽引する人材が出てきてほしい。それは一流のプレーヤーだけではなくてね、四年間地道に努力したけれども、サッカーでは報われなかった人でもいいんだ。その経験を活かして経営の勉強をしたり、指導者で成功したり、いずれにしろどんな立場であれサッカーに携わって日本サッカーを背負っていこうという後輩が出てきてほしいね。
まずその時々にどうやってベストを尽くすか。そして失敗を恐れないこと。失敗を次に活かすことこそが自分の人生を高めていく。そして絶対に諦めてはいけない。誰しもがみんな可能性をもっているんだ。十人十色の可能性を活かすためにも、今をしっかり生きてほしいね。
 
- 貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。