2012年5月15日、U-23日本代表監督でア式蹴球部OBでもある関塚 隆氏(昭和59年卒)へのインタビューを行ないました。トゥーロン国際大会に出発される前の忙しい時間を割いていただき、ア式蹴球部の監督をされていたときとの違いなど、興味深いお話を伺うことができました。
- まずは、長丁場の戦いお疲れ様でした。予選を振り返ってどんな感想をおもちですか。
(監督への)就任が決まってスケジュールを見たときに、2シーズンにまたがるというのが一番ヤマだなと思いました。僕自身もJリーグで監督やコーチをやっていましたから、シーズンの最後の佳境の時に試合があって、それからOFFを挟んでまた試合があるというのがやっかいだなと。
それから、今ランキングからいうと「アジアを通過して当然」という状況だと思うんですが、実際には東南アジア、中東、そして中央アジアも含めて、どこがアジアを通過してもおかしくないくらい力が拮抗してきていると思います。そういった状況の中で、予選を通過することができてほっとしたというのが正直なところです。
- A代表のコーチも兼任されていますが、U‐23とA代表で違いを感じる部分はありますか?
A代表にせよU-23にせよ、やはり選ばれたものだけがいるという環境ですから、そういう面ではみんなそれぞれ責任感もしっかりもっていますし、充実していると思いますね。ただU-23って必然的に年齢がみんな同じくらいになりますよね。そういう環境だとやっぱりリーダーというか、他の人にも厳しく言って自分がやるっていう選手が出にくいですよね。
その点A代表は、ベテランから若手までいる環境でトレーニングを行なうことになりますから、その分ひとつひとつの変化っていうのはあると思いますよ。
- ア式蹴球部を率いていたときと大きく変わったところは、どういう部分ですか?
ひとつは早稲田のア式蹴球部だと人数も多くて部員それぞれ4年後の自分の方向性っていうのはまちまちだったと思います。でも、ア式に入った以上はチャンピオン、NO.1を目指す活動を行なう。そのためにまず「目標をひとつに定める」っていうことをやりましたね。今のU‐23、立ち上がったときはみんな21歳だったので、U‐21だったんですけど、そのときも「目標を明確にする」ということを大事にしました。「オリンピック出場権を獲得して、そして世界に挑んでいく」これが日本サッカー界にとっても非常に大事なひとつの目標ですよね。協会が掲げる「世界ランキングトップ10に入ってワールドカップで優勝目指す」という道筋、それに近づいていく意味でも、目指すものは何かをしっかり定める。それでその目標に対してやるということも明確にしました。(自分がア式を率いていたころの)学生も、今のU-23のメンバーも、この目標を定めてやるっていう部分は、しっかりとやっているなと思いますね。
あとひとつ言えるのは、コミュニケーション力というんですかね、会話とかそういうところは繰り返しトレーニングしないといけないのではないかと思います。今の若い年代っていうのは携帯とかパソコンとかで一方通行なことが多いので、信頼関係ができて通じあえば、お互い言えるようになるんだけど、それまではなかなか発することがないように感じます。最後のところで、面倒臭くなると閉じこもっちゃうというか、言い合って心を通じ合わせるとか、そういうのが少ないんじゃないかなと。
言う力もそうだけれど、聴く力も必要だよね。全体の調子が良くてうまくやれるときには、しっかりとそこに入ってできるんだけれども、何か問題が生じたときに、自分のことを言われたときに急にカーってなっちゃったり、周りにうまく合わせるという機会が少ないのかな?と。そういうときに指導者に答えを求めてしまうけれども、それでいいのかって・・・ピッチに立ったらそういうのでは済まされないわけですからね。その辺をどういう風にしっかりと自分たちで解決していくか、というのが大事になってくると思いますね。
- 歴史を辿っていくとア式蹴球部とオリンピックには深い関わりがありますよね。
5大会前の復活のときが、西野(朗)さんが監督されたときですよね。28年ぶりに出場を果たして、そこから5大会連続ですからね、そのときがブラジルに勝ったマイアミの奇跡。僕が17歳でユース代表になったときの監督が松本育夫さんで、大学に入って指導していただいたのが宮本征勝さんで・・・そういうメキシコ五輪時代に活躍された方々に、世界に通用する選手、チームをつくるんだって実際に指導してもらったのが我々ですから、こうやって考えると凄いことですよね。
- 早稲田魂というか、早稲田はこういうところがちょっと違うと感じることはありますか?
やっぱり常に情熱をかたむけて目標定めて、成長していく。その姿っていうのはア式蹴球部の良さですよね。数々の歴代の方が日本代表であるとか、そういう経験値が礎になっているんじゃないかなと思いますね。それをずっと引き継いできたからこそ、サッカー界でもリードしていくようなプレーヤーだったり指導者になって、続いていくんじゃないかなと。それは、卒業後サッカーを選ばなかった人にもいえることで、それぞれの企業でも「リードする存在」であるというのも、ア式蹴球部の伝統に育まれていることだと思います。
- いよいよ本戦ですが、短期決戦という中で心がけていることなどあれば教えてください。
今はもう突っ走っているといいますか、本大会のところでメンバーも最終的に決まって、あとはその決まったメンバーで、予選リーグから決勝まで短期決戦ですからね。選手たちとどこかで手ごたえを感じて、このチームだったらやれるというきっかけ作りがどこでできるか、その辺のイメージを描いているところですね。どれだけスムーズに進むか分からない状況で、なったところで考えなければいけない部分と、しっかりと本大会までのステップを描いておく部分と、それをどういう風に整理していくか考えているところです。思い通りいかないからって、イラっとするんではなくて、やっぱりどんと構えてやらないといけないっていうのがあるんですよね。
- 試合後のインタビューとかを見ていてもポーカーフェイスといいますか、いつも穏やかなトーンでお話しされているという印象があるんですが。
いや熱いですよ(笑)。
まぁ最近だいぶおとなしくなってきたっていうのはあるかもしれないですけど(笑)。
- それはやはり選手を信頼されているからなのでしょうか?
まぁそうですね。今は。でもやはり、選手の中でもすごくクールでそういうところが出ない選手とかグループもあって、そういうところでは僕自身が熱くなって表現しないと伝わらないこともあるので、そこは選手を見ながらですね。
- ここからまたチームを作り直して、ということになるのでしょうか。
作り直してというか、今のままでは世界を相手に戦うっていくには厳しい。やっぱりもっと力つけていかないと、目標、メダルには届きませんよ。そこは選手たちも分かっているので、各所属クラブで力をつけようとみんな頑張ってくれているし、メンバー入りを虎視眈々とねらっているわけですから、そこを我々は、試合をしっかりと見て、もっとスケールアップしていくようなチーム力をつけていかなきゃいけないと思っています。
- 少しオリンピックとは話が離れますが、大学サッカーだからできることというのはどういったことだと思われますか。
プロリーグ発足時は、しっかりとトップチームとサテライトチームっていうのがあって、18歳から22歳の若手の選手をどう育成するかっていうのを考えた組織になっていたんですが、財政的なものとかいろんなところで縮小されてしまっているのが現状です。以前は、高校サッカーでのナンバーワン、エース級はJリーグに行き、そこに入るか入らないかっていうのが大学へというようになってしまってたんですが、実際は4年間たって即戦力になるのは大学に行った方なんですよね。プロだと試合をする環境はトップリーグしかない、その点試合をやる環境が大学4年間の方があるっていうのが大きいんですよね。やっぱりサッカーはプレーしてなかったら成長はみられないのでね。
- 最後に現役部員・若手OBへのアドバイス、メッセージをお願いします。
僕の場合は、昔から天才肌みたいなタイプだったわけでもありませんから、「継続は力なり」じゃないですけど、目標を定めてしっかりそれに向けてひたすらやるということが大切だと身にしみて感じています。練習は嘘をつかないので、それはすぐに、短期的に結果が求められるとは限らないですけれど、そこをやり通す、やり続けていく力、それが非常に大切なところじゃないかなと。企業に入ったとしても自分の好きな仕事にすぐ就けることはまずないと思います。でも、思いは通じるというか、誇りを胸にやり続けて欲しいなと思います。周辺のことでも経験する、継続していく、本音でやり続けるっていうことが大事なところなんじゃないかなと思います。
- 本日は貴重なお話をいただき本当にありがとうございました。