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「ア女にいる私」vol.4 村上真帆

今日の担当は、4年村上真帆です。


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この部員ブログリレー「ア女にいる私」は、誕生日順に更新されていくとのことで、私は4番目らしいです。ア女には天才的に文章書くのがうますぎる人が何人もいて、基準が高くなりすぎる前に書けるので、はやく生まれてきてよかったです。
前置きになっていたかはわかりませんが、前置きはここまでにしておきます。

私は小学3年生でサッカーを始めました。女子サッカー選手の8割以上の人は「兄がやっていたから」という理由で始めたと思います。私もそのうちの1人です。サッカーを始める前は水泳をやっていたので、チームで戦うのってすごくおもしろいし楽しい!と感じながら毎日サッカーしていました。
小学生のときはなにも考えず、がむしゃらに無我夢中でサッカーに打ち込んでいましたが、中学、高校、大学では、それぞれ試練が待ち受けていました。

中学生では、2度の絶不調の時期に陥ったこと。
ボールを止める、蹴る、という基本中の基本のことすらできなくなった時期がありました。小学生の時より下手になっていたと思います。なにかが狂ったんだということはわかりましたが、なにが狂ったのかは今でもわかりません。そうなってしまった原因は分からなかったので、ただひたすらに感覚を取り戻すために自主練をやり続けました。兄や父にも手伝ってもらい、パス、ドリブル、トラップなど単純なことを嫌というほどやり、絶不調の時期を乗り越えました。感覚が戻ってきたときはもう楽しくて楽しくてしょうがなかったです。また、2度も絶不調の時期がきたということは、3度目もありえるなと思い、そこからは絶不調の時期に陥るのを恐れ、防ぐために自主練していたといっても過言ではありません。

高校生では、疲労骨折を幾度も繰り返したこと。
1年の時には2度も手術をし、松葉杖のイメージがみんなに染み付いてしまいました。松葉杖をついていない時の方が珍しかったかもしれません。大会に合わせてリハビリをして復帰するけど、その大会でまた骨折、手術、という感じで1年間で試合に出た数は数えるほどです。
2年生になってもなかなか完治はしませんでした。骨の亀裂が大きくなり休む、少し休むと亀裂が小さくなったから復帰するけど、しばらくするとまた亀裂が大きくなり休む、の繰り返しでした。リハビリ中はプールに行って泳いだり、マシンのバイクを買ってもらって家で漕いだり、インソールを作ったり、学校帰り超音波をかけに毎日病院に行ったり、とにかくはやく復帰したくてしたくてたまらなくて、ありとあらゆる手を尽くしました。両親には本当に感謝しています。
3年生になってからは怪我が再発することはなく、久しぶりに怪我なく伸び伸びとサッカーができました。サッカーできることが嬉しくて、朝練したり、放課後の練習前には毎日2人組でロングキックを蹴ったり、時間があれば全てサッカーに費やしてきました。

そしてア女に入部。
ア女には、「速くて強くて上手いのは当たり前、それにプラスして秀でた武器がある選手」が勢揃いでした。今までに見たことのないすごい人たちばかりで、その中でサッカーができて毎日が新鮮でした。高校までは試合にコンスタントに出させてもらっていましたが、大学では速くもない、強くもない、上手くもない私は、試合に出れるわけがありませんでした。練習の紅白戦では1本目はA対Bで試合をしますが、そこには入れず、いつもラインマンをしていたことをよく覚えています。試合に出ている選手はそれ相応の努力をしてきたに違いない、と試合に出ている選手をピッチの外からみていてそう感じました。それほど圧倒されました。だから私も、試合に出れるように、ピッチでチームに貢献できるように、必死に努力しました。自分の平均値を上げること、自分にしかない武器を作ること、周りの選手より成長すること、などなど、やるべきことは山積みです。私はめんどくさいこと、やりたくないことは基本避けて通りたい性格です。だから、ある考え方をすることでサボらず努力し続けました。それは、
「人のせいにしない」
ということです。そしてこれは今でも使っています。努力すればするほど、こんなに努力してきたのになんで試合に出れないの?と思ってしまいます。これではその努力は「試合に出るための努力」ではなく「ただの自己満」になってしまいます。それを人のせいにしないという考えが頭にあれば、「単純に試合に出れるだけの努力が足りないから」という思考に変えることができます。そう思うことによってさらに自主練の量を増やしたり、自主練のやり方を変えてみたりすることもできます。試行錯誤を繰り返し、徐々に試合にも出れるようになりました。
そして試合に出れるようになってきてからは
「自分が1番下である」
と思いながらやっています。自分の今の立ち位置がどうであるかという話ではなく、そう思うことで謙虚な気持ちを忘れずにサッカーすることができるということです。例えば、試合に出ている中で自分が1番下手だと思うことで、その分誰よりも走らなければならないし、下手なのは自主練して改善しなければいけなくなります。
このように、長々と書いてしまったのをひっくるめていうとつまり、
「自分を甘やかす、サボる時間を与えない」
ということです。(ほかにもいろいろ考えてることはありますが、書くと読むの飽きちゃうと思うので興味ある人は聞きにきてください。笑)

今までにさまざまな試練がありましたが、そして今ももちろんありますが、私はサッカーを嫌いになったこともサッカーを辞めようと思ったことも一度もありません。それは、サッカーが好きだから、そしてその大好きなサッカーを素晴らしいチームメイト、スタッフ、環境の中でできているから、という理由に尽きるのかなと思います。いまはコロナの影響で活動自粛していて思うようにサッカーができないから、余計にそう思います。
今まで以上にサッカーができる幸せを噛みしめながら、これからも突っ走っていきたいと思います!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!

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以上です。
明日もお楽しみに。
阪本