diary-women

『怖』3年 宗形みなみ

本日の担当は、3年宗形みなみです!

1年生からア女の中盤を支え続ける彼女。
上級生となり様々なことを経験し、今の自分に何ができるかを考え続けた。

そんな彼女が語る、叶えたい姿とは…
是非ご覧ください!

こんにちは!
3年の宗形みなみです!

今シーズンから大宮アルディージャVENTUSに特別指定として加入し、色々な想いを抱えた自分と、ア女への想いをお伝え出来たらなと思います!

拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

2年生の夏、3回目の左肩脱臼。

脱臼の痛さを知りながらもサッカーができなくなる恐怖から手術を避けていた。パフォーマンスが絶好調な時期でもあった。
だが、自分で獲得したPKを決めた数分後に接触で左肩を完全脱臼。
早くはめてもらうことができず、病院でも待ち続け、泣きわめき、冷や汗をかくほどの痛さ。約1時間半後に肩をはめてもらい、痛みから解放された。
またいつ外れてもおかしくない肩の状態。
先生から手術の忠告を受け、手術を決断した。
これは、その時点で、今シーズン、ア女でプレー出来ないことを宣告したようなものだった。

その日から毎日が恐怖との戦いだった。
手術後、自分の腕に感覚がなく、麻酔が切れてきて眠れない毎日。
固定しているのに動いていないのに、感じる強い痛み。
少し動いただけで激痛。
足は元気なのに復帰までの道のりが遠い。
みんなの接触プレーを見て、自分の怪我をフラッシュバックする毎日。
復帰直近でも、人と当たる怖さ、ボールを奪いに行けない、ボールを腕でキープ出来ない。

選抜活動に復帰を合わせた。
だが、やっと試合が出来ると意気込んでいたワクワク感より、コンディションが絶好調ではない自分のプレーを見せる怖さ、今までと違うんじゃないかと思われる怖さ、自分で納得がいかないままサッカーを楽しめるのか、色んな怖さとの戦いだった。

だけど、大切な人が言い続けてくれた。
「今のみなみでいい」
「今のみなみが出来るプレーを全力で」
この言葉に何度も救われた。
今でも沢山救われてます。
この場を借りてお礼を言います。
ありがとう。

そして、ア女の3年目のシーズンが始まった。
チームは勝ち続ける中、なにかが引っかかっていた。勝ってはいるが、本当にア女が体現したいサッカーなのか。他大学からも「早稲田蹴るようになったね。」「サッカー変わったね。」と言われることが多くなった。
先輩方が紡いできた伝統を繋ぐことすらできてないのではないか。

ついに、その引っ掛かりが結果に現れ始めた。前期が終わるにつれて試合に勝てなくなり、ピッチ外での問題も起き、チームの雰囲気も最悪な状態に。

自分に何ができるのか。
何度自問自答しても、その答えは「怖い選手になる」以外の言葉が思いつかないほど明確であった。

関カレ中断期間に入り、私は大宮アルディージャVENTUSの練習に参加する日が増えた。練習内容も環境も違う中、毎日沢山の刺激を受けている。

WEリーグデビュー戦、ア女のみんなが皇后杯で負けた知らせを聞いてこの試合に挑んだ。
こんなにも早く自分の出番が回ってくるとも知らず、緊張する暇もなく、ピッチに入った。
ピッチのメンバーが駆け寄って「大丈夫だよ」「自信持って」「メンタル強いな」沢山の声がけをしてくれた。

この瞬間、このチームのために全力で頑張りたい、このチームを助けたいと強く想った。
このチームの為に。

それと同時に、ア女のみんなの顔が浮かんだ。
自分がここに立てているのは紛れもなく、ア女のみんなが背中を押してくれたおかげ。
まさか、この場面でア女の事を想うなんて自分でもびっくりした。

ア女に対して、自分は、何ができるのか。

それは、自分がア女に戻ってきた時にピッチ内外関わらず、還元すること。
つまり、怖い選手になるという目標に近づくこと。
これは上手い選手、強い選手、では無く、ピッチ上で、パス、ドリブル、シュート、守備、声がけ、戦術、他にも沢山あるが、全てにおいてレベルが高く、相手を圧倒する存在だと思う。この人がボールを持つと怖いな、嫌だなと思われる人。
そして、チームを勝たせられる人。
この人がいればチームは勝つという人。

正直、今でも肩脱臼の恐怖心がゼロではない。入念に準備をしても、接触のシーンで「今の危なかったな」と怖さを感じる。

だけど、怖い選手になる以上、色んな怖さを乗り越えなければならない。

色んな怖さと戦い、怖い選手になる。

絶対叶えてみせる。

そして、日本一を獲る。ア女を勝たせる選手に。

それがア女への1番の恩返し。

——————————————————————————————
以上です。
明日もお楽しみに!
木南