🌟武田太一(タケダ タイチ)
⚽️枚方FCマシア → ガンバ大阪ユース
サッカーを始めたきっかけは?
と、聞かれることがある。
サッカーを始めたきっかけは親父にサッカーチームに入れられたからだ。
ただ、それだった。
その頃はサッカーに全く気持ちがなかったし、正直やらされていた。
グランドに行けばサッカーは楽しかったし、夢中でボールを追いかけたが、
練習や試合でやらされている時以外は、ほとんどボールを触らなかったし家でゲームばかりしていた。
こんな状態からなぜ夢がサッカー選手になったのか。
小学校の頃から将来の夢はサッカー選手と言っていた。
しかし、これは親父の夢だった。
本当はサッカー選手になれる自信がなかったし、大阪トレセンに選ばれてはいたが、レベルが高く、トレセンに行くのが嫌いだった。
そんな小学校の時の本当の夢は、「そこそこの企業に就職して、そこそこの給料を貰って、そこそこの家庭を持ち、そこそこの人生を過ごす。」だった。
自分にはプロになる才能は皆無だし、目指すことはできないと思っていた。
それでもサッカーをするのは楽しかった。
中学の時に所属していた枚方FCでそこそこの結果を出し、
高校ではガンバユースに入ることができた。
自分の同期には、中学時代に3冠を達成し世界2位になった、Jrユースから上がってきた選手、外部から来たのは全国大会や代表経験のある選手ばかりだった。
この頃から、実際にサッカー選手を夢にしてなかったわけではなかったが、
現実はそんなに甘くなかった。
ボール回しをしても、ずっと真ん中でボールを回され続ける日々。
試合形式でも、点を取るどころか、ボールも貰うことが動きも出来ず、ただ蹴られてから走るしかできなかった。
この時、監督からつけられたあだ名はリアクション大王だった。
高校1年の初めに考えていたのは、「サッカーで大学に入ることが出来ればいいかな。」
ということだった。
そんな中、自分の夢と向き合うきっかけがあった。
練習試合で上手くいかなかったとき、同じカテゴリーのBの選手と試合の反省をしていた。その時のその選手の発言は全てプロになるための発言だった。
「これじゃプロでは通用しない。」だとか、
将来を見据えていつもプレーをしている事を知った。
自分はずっとBチームにいて、サッカー選手という夢を考えるのは無謀とさえ思っていた。
だが、自分以外の選手はどうだっただろうか。
サッカー選手という夢に向かって、一生懸命に練習を頑張っていた。
自分はどうだっただろうか。
覚悟をもって練習をできていただろうか。
将来のビジョンをもって練習していただろうか。
それだけではない。
みんなが目指しても入れない環境に身を置かせてもらっているのに夢から逃げようとしていたんじゃないか。
親父の夢だと言い張り、無理にでも自分の夢じゃないと逃げようしていただけだった。
この時にやっと気付くことが出来た。
周りからはだいぶ出遅れたが、サッカー選手になるという自分の夢の為に覚悟をもって頑張ることを胸に誓った。
ユースに入り、サッカーの本当の面白さを知ることができたこと。
みんながプロを目指しているのにこんなに中途半端な気持ちでいいのかと考え、
この素晴らしい同期と一緒にプロを目指したいと思えたことが大きかった。
高校3年間で梅津監督に数えきれないほど怒られた。
でも、サッカーが上手くなっているのを感じるのが楽しくて仕方がなかった。
高校3年間ではプロになることはできなかった。
同期から3人がプロに、一個下の律も飛び級で昇格した。
悔しかった。
それと同時にやっぱりな、と思った。
それもそうだろう。
高校の途中から覚悟を決めた自分では無理に決まっている。
そう思っていたから気持ちの切り替えは簡単だった。
大学4年間を死に物狂いでプレーして、大学卒業後にプロになって自分の夢を叶える。
プロになれないと分かった時からこう心に誓い、
高3の時に関東リーグを優勝した早稲田大学の門を叩いた。
ランテストを余裕でクリアし、仮入部から入部までを自分の学年ではアントラーズユースのキャプテンだった千葉と一緒に一番手で入部した。
大学1年の新人歓迎会で、みんなの前で堂々と啖呵を切ったのを覚えている。
「1年から試合に出てチームを優勝させます。」と。
このまますぐにAチームに入って、学年で一番初めに関東の舞台で結果を出してやろうと思っていた。
現実はどうだっただろうか。
1年の時、1回もピッチに立つことがなかった。
それどころか、試合に出れるようになったのは大学2年の10月だった。
試合に出れない間、ずっと自分自身に言い訳をしていた。
こんな蹴るだけのサッカーで出れなくても仕方がない。
こんなサッカーは面白くないから出れなくてもいい。
監督の見る目がないだけ。
と思い、サッカーをこなす日々が続いた。
そんな時、学年ミーティングで同じスポーツ推薦で入った大桃に言われたことがある。
「スポーツ推薦で入ったのにBチームで何してんの?」
すごく刺さった。
その通りだ。何しに来たんだ。
夢を叶えると心に誓ったはずなのに慣れない環境や人のせいにしていた。
もう一度夢を見つめなおしサッカーに向き合うことが出来た。
そこから、Aチームに上がり、すぐにとはいかなかったが2年の時から試合に出られるようになった。
そして、関東2部リーグ優勝が決まった瞬間をピッチの中で味わうことが出来た。
大学3年は飛躍の年にすると決めていた。
2年の時は途中出場でしか試合に出たことがなく、2点しか取れていない。
今年こそは一年間を通して結果を出し、注目される選手になることを目標にしていた。
関東リーグ優勝。
チームは上手くいった。
大敗を二回も喫しながらも、残り二戦を残し優勝を決めることが出来た。
しかし自分はどうだったか。
1年の個人的な結果を振り返ると、
前期では7点取り得点ランキングも2位で折り返した。
後期は3点しか結果が出なかった。
桐蔭戦以降、結果が出ずに納得いくプレーができないことが続いた。
焦りを感じて結果に飢え、試合で上手くいかなければどうしようという感情になり、
それが原因でご飯が食べられなくなり1週間で4kg落ちた。
夢に溺れかけていた気がする。
試合に出ないとみてもらえない。
結果を出さないとFWとしている意味がない。
そう考えて、サッカーの本質を忘れていた。
なぜここまでサッカーを続けてこれたのか?
辛い思いをしてもサッカーをしている理由は?
授業中、そんなことをふと考えていた。
そして、全ての答えはそこにあった。
サッカーをする理由はサッカーが楽しいからだ。
サッカーが好きでたまらないからしている。
サッカー選手を目指すなら、当たり前に結果や自分のプレーを追及しなければならない。
でも、サッカーを楽しんでいる時が結果も出るし、プレーも悪くないことに気が付いた。
サッカーが楽しいと思えると、練習に行くのが楽しみになった。
早く試合をしたいと思えた。早くボールが蹴りたくて仕方がなかった。
そして迎えた国士館戦。
後期3点目の結果が出た。
後期はこの点を最後に取れていない。
もちろん納得のいく結果ではないし、追求していかなければならない。
だがそれ以前に、これからは誰よりもサッカーを楽しんで、
誰よりも楽しそうにプレーしてると思われるような選手になりたいと思った。
これからも上手くいかないことはあるだろう。
でも、もう言い訳はしない。
サッカー選手になるという自分の夢を叶えることをここに誓う。