🌟森岡和磨(モリオカ カズマ)
⚽️ファジアーノ岡山U-15 → 岡山学芸館高等学校
私は大学生になり、訳の分からない自分の感情に直面することが増えました。
そんな時たまに、ノートに想いを吐き出します。今回のア式日記もその延長で、自分の世界に入り込んで綴りました。
【サッカー中心の生活】
福岡のおじいゃんから幼い時によくケンカのやり方を教わった。それを幼稚園の友達とのチャンバラごっこに活かしていた。
負けるのはダサい事だと思ってた。
岡山に引っ越してきて、お兄ちゃんがサッカーのスポ少に入ると言ったので便乗して入団。小学一年生の時、試合中なのにボールを追いかけずに友達と砂遊びをしたりしていた。(笑)
でも、気がついた時にはサッカーに夢中になっていた。コーンドリブルの練習が大好きで、私はドリブラーになった。ロナウジーニョやマラドーナ、ロベルトバッジョのビデオとかをよく見た。
学校に行く前にランニング、仕事前のお父さんと基礎練習、学校が終わるとすぐに校庭に向かい友達とボールを追いかける日々。誰にも負けたくなかった。
目を輝かせながら、プロサッカー選手になると言っていた。
ファジアーノ岡山の中学生チームに入団。
学年が上がるに連れて試合に出れなくなっていった。みんなでかくなり、速くなっていったが私はあんまり変わらないまま。
出井コーチが、小さかった私の為に栄養管理ノートを作ってくれて毎日の食事メニューをかきこんだ。でも背はあまり伸びなかった。
サッカーが上手くいかないと他の事にも影響した。学校生活も楽しめなくなっていた。頑張っているつもりなのに、中々打開できない日々。父さんが迎えにきてくれた車の中でよく泣いた。
そしてとうとう中3最後の試合、私は試合に負けて涙を流すチームメイトをスタンドから眺めていた。今でもこの時の悔しさを覚えいる。
「もう2度とんなに悔しい想いをしたくない。」
岡山学芸館高校。私はここで大逆転を起こした。
入部当初は同期に埋もれる存在。スペイン遠征で腰痛分離症になり、7ヶ月間の離脱も経験した。ちゃんと勉強もするクラスで、大変だった。
悔しくて辛い気持ちになる事も多かったが、地道にコツコツと頑張ると決めていた。頭の中にはいつも、あの中学生最後の試合のスタンドからの風景が焼き付いていたから。毎日グラウンドに残って体幹トレーニングをするのが日課。みんなから体幹マスターと言われるようになった。
3年時のインターハイメンバー発表の日。
1週間くらい前に発行された地元紙みたいなものに自分の名前はなく、落ちたものと思ってた。それなのに、まさかのサプライズ選出。
一回戦で市立船橋と試合をして途中出場した時の記憶を鮮明に覚えている。スタンドからガッツだぜの応援歌が聞こえてきた時、泣きそうになった。
高三の最後の試合、作陽戦。直前に自分のポジションの後輩が怪我をして、自分が試合に出ることになった。トーナメントで初のスタメンだった。結果は0-3負けだったけど。
中学の時の悔しさを原動力に大きな成長を遂げた高校生活。
「自分だって出来るんだ」
自分に自信が持てるようになった。これから先、何でも乗り越えられる気がした。
大半の時間をサッカーに費やし、サッカーから学び喜び泣き、サッカーを中心に世界が回っていた。
【もっと知りたい】
一般で筑波に入るつもりだったが不合格。
でも、担任の先生の薦めで書類を出していた早稲田に何とか合格した。その時に初めてア式蹴球部を調べた。歴史の凄さ、部員メンバーの経歴の華やかさに衝撃を受けた。
これは受からないかもしれない。でも挑戦してみよう。下手くそで当たり前。高校の時の経験を自信にして喰らい付いてやろうと覚悟した。
何とか正式部員となり、高校で起こせた逆転現象を目指して取り組んだ。
毎日もがきながら、成長を実感する。充実した日々だった。
でもいつしか、私はもやもやを抱えるようになっていた。
「このままでいいんだろうか?」
大学2年の半ば頃、高校時代キャプテンのざきと再会をしてご飯に行った。昔話をしようとでも思ってた。でも、「おれ今度ドイツ行ってくるよ。」スポーツビジネスを学んでくるとのこと。ただのサッカー馬鹿だったざきが、将来のビジョンを必死に話してきた。ざきが進学した新潟では、情報があまり入ってこないらしい。でもそんな事気にかけないように、自分から行動を起こしていた。置かれた場所に留まらず、どんどん飛び出していた。その姿は私に輝いて見えた。
「自分は何をやってるんだ?」
早稲田という恵まれた環境を与えられているのに、特に学ぼうとしていない。親が高い学費を払ってくれているのに。
何となく部活で頑張っている自分を言い訳にして、ちゃんと自分の事について向き合っていない。熱く語れるビジョンも特にない。
ざきに気付かせてもらい、自分の事にもっと向き合ってみようと思うようになった。
今まで何となく聞いていたスポ科の授業から多くの学びがあった。外国とのスポーツ事情の比較。部活動という特殊な文化。教育や歴史的背景によるスポーツへの影響。スポーツを上手くビジネス化する事の重要性。
外の観点から見てみると、気付きがあった。
こんな枠組みがあったなんて知らなかった。
「もっと、知りたい。」
余った時間で、色々な行動を起こしてみた。
熱い社会人の方と会ってみる。興味のあるイベントに行ってみる。友達と寮のPR動画作成。ヒッチハイク。一般社団法人ユニサカ。。。
最初は結構意識的だったけど、どんどん楽しくなった。新しい自分の価値観に気づけた。
ビジョンみたいなものが見えてきた。難しそうな事が、やってみれば意外とできた。
「今まで内側に閉じこもってただけで、外に出てみるのは意外と楽しいんだな。」
大学に入り自分に疑問を持つようになり、外側に飛び出てみたことで、世界観が広がった。
【金ピカ】
「今のあなたにとって一番金ピカなことは何?」
私が大好きな漫画、宇宙兄弟の中で響いたフレーズの1つ。金ピカとは、自分の目の前で輝きを放っているものの事。
自分の人生の大部分において金ピカとはサッカーだった。
でも、今思えば絶対にサッカーじゃないといけなかったわけでもない気がしている。もしかしたら始めにやったのが野球でも、同じようにいい経験が出来ていたかもしれない。
最初サッカーを始めたのは、お兄ちゃんにくっついて行っただけの事。楽しいかどうかなんて知らなかったけど、一歩踏み出してやってみたら気が付いた時には当たり前の存在になっていた。最初に始める時、ここまでサッカーから学び、喜び、悔しがり、泣くような事がこの先に待ち受けているだなんて全く想像しなかっただろう。
でも、飛び込んでみたから出来た経験だった。
大学に入り自分が起こしてみた行動もそう。友達と寮の動画を製作した時も、ヒッチハイクをした時も、ユニサカに入った時も、その時に何となく光り輝いていたものを掴みに行って初めて見えた景色があった。
ア式と留学生との交流イベントを企画した時、違う角度でサッカーの魅力に触れられた。サッカーの自由さを感じた。昔を思い出させてくれた。繋がりを持ってみることで新たな価値に気付くこともあるんだと知った。
自分が金ピカだと思ったらとりあえず、一歩踏み出してみる。
上手くいくかなんて考えなくていい。最初の一歩を踏み出してみて初めて気付く事があると思うから。
高度情報化社会。
無雑作に情報をキャッチしようとすればするほど、周りの評価を気にすればするほど、答えは見つからず、どこに向かっていいのか分からなくなる。
最近ではVUCAの時代と形容されるように、人々の不安を煽るような世の中にどんどん突入している。
こんな時代だからこそ、
「自分の声に耳を傾けてあげて金ピカを見つけてみること。」
「勇気を持って最初の一歩を踏み出してみること。」
こうしてみることで、見える世界は彩られて鮮やかに広がっていくのではないだろうか。