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「え、え、おれが問題児??」3年・今井悠太郎

 

🌟今井悠太郎(イマイ ユウタロウ)
⚽️高輪中学校 → 高輪高等学校

 


 

 

 

完璧に部員日記のこと忘れていました。

あっという間に私のところまで回ってきました。

もう12月になったのかと時の経つはやさを実感しています。

もう少しでクリスマスですね。(私には関係ありませんが…)

 

私のことを知らない人が多いと思うので一応、自己紹介します。

文化構想学部3年の今井悠太郎といいます。

ア式で文構といえばどんなイメージでしょうか?

非常に落ち着いている人が多いのかな、などとお思いの方もいらっしゃるでしょう。

全く違います。問題児だらけです。(私もそのうちの一人らしいです笑)

文構には3年の私、2年に中野、1年にあるむとほまれちゃんがいます。

そういえば去年卒業したひろし君もクレイジーでした。(僕は大好きでしたが)

詳しく話したいですがここでは話せる内容ではありません。笑

1年生はさておき(ほまれちゃんが留年しないようにと心の底から祈っています)

中野に関しては渋ハロに行って翌日体調を崩すような問題児です。

 

では、私に関してはどうでしょう?

今回、珍しくまじめに考えてみました。

考えてみて一つの答えにたどり着きました。

その答えとは、

自分の殻に閉じこもり、自分自身や周りと向き合うことに目を背けてきたことに尽きると思います。(とてもア式的な感じですが笑)

私がア式に練習参加した当初は毎日死に物狂いで練習に取り組んでいました。

理由は明白です。

私がだれの目から見ても1番へたくそで使えない選手だったからです。

毎日文句を言われプレーしていました。

文句を言ってくる人に対して「お前だってAに上がったら何もできねえだろ」なんて思ってましたがしっかり自分のへたくそだということを受け入れて毎日を過ごしていました。

毎日、120%の力を出し切らないと生き残れない、人目を気にしている場合ではない、すべてを吸収しなくてはと思っていました。

あの頃の私は飢えたハイエナでした。

心身ともにつらい日々でしたが確実に1歩ずつ成長していることを実感できていました。

今思えば充実していたと言えるでしょう。

2年生になり少しずつ自分のプレーが出せるようになり、後輩も入ってきて余裕ができるようになりました。

飢えたハイエナが労をせずとも餌にありつけるようになったのです。

 

少し、余裕ができると楽をするようになりました。

そうなれば、当然評価を得られるわけもなくずっと一番下のチームで過ごす時間が続きました。

トラウムカップの帯同メンバーで同期の中で自分だけメンバー外だったこと、

練習試合で出番を与えられなかったこと、

新人戦の法政戦で私の軽いプレーでPKを与えてしまいチームを敗戦へと導いたこと、

これらはほんの一部ですが本当に悔しかったし、自分にふがいなさを感じていました。

家に帰って泣いたこともあります。

 

しかし、私はそのような思いを真正面から受け止めず、逃避することを選びました。

私は適当にやっているようにふるまうことでダサくならないようにすることを選びました。

そうすれば、カッコ悪い思いをしなくなると、

なりふり構わず頑張っているチームメイトが私の周りにいたことも知っていました。

取り繕っている自分が1番カッコ悪いことも分かっていました。

しかし、ちっぽけなプライドが私の邪魔をしました。

そのまま時間が流れ、周りの選手との差が目に見えるようになってきました。

 

「このままではやばい」

 

という気持ちが芽生えたのは2年の10月頃でした。

 

そこから自分の中で切り替え、改善しようと試みました。

しかし、1度踏み外した道を自分の力で正すことは容易ではありませんでした。

たまたま練習で調子がよく、少しカテゴリーが上がっただけで慢心し、また楽をする。

そしてまた下のカテゴリーに落ちる。

これの繰り返しでした。

 

「なんで結局こうなるんだ?」

「今のままではだめだ。」

「変わらなくては。」

 

何度も自問自答しましたが答えにはたどり着きませんでした。

そんな時に周囲の人を頼ればよかったのですがここでもまたちっぽけなプライドが邪魔をしました。

 

「周りに自分の弱みを見せたくない。」

 

くだらないプライドを捨てきれないまま、2年生が終了しました。

3年になり、スタッフも入れ替わり新生早稲田のシーズンがスタートしました。

個人的には上々の滑り出しでした。

合宿では調子がよく、自分の思うようにプレーすることができました。

 

「なんか今年はいける気がするな。」

 

そう思っていました。

 

しかし、最終日に怪我をして離脱。

そういえばこの日に外池さんから初めてお叱りを受けました。(アイシング事件)

この怪我自体はたいしたことなくすぐに復帰できましたが私は自信過剰になっていました。

そんなにうまくもないくせに勘違いして自分の気が向いた時だけ頑張り、やる気がないときは適当にただこなすといった具合になっていました。

 

「ちょっとやればまたいつでも上がれるだろう。」

 

すると、

シーズン当初はAチームにいた自分がIリーグのメンバーに、

Iリーグのメンバーだったのがメンバー外に、

そして、またどん底まで落ちました。

 

「あー、またこのパターンか。」

 

この時の私は変わることも諦め、毎日グラウンドに立っているだけでした。

サッカーをやっていても、何の感情も湧き出てきませんでした。

ただグラウンドにきて練習が終わると自主練もせず家に帰り、大学や高校時代の友人と遊ぶことばかり考えていました。

ア式以外のことを充実させ、あたかも今の自分は充実していると自分自身を錯覚させようとしていました。

この時期はサッカーよりもスケボーに熱中していました。笑

そんな日々が続き、あっという間に4年に向けての学年ミーティングが始まりました。

そのミーティングの中で

 

「3年の問題児は今井だ。」

 

そんな声が上がってきました。

 

「練習でフリーマンしかやらない。」

「練習をちゃんとやらない。」

「4年生が自分のことで1時間話し合った。」

 

このことを耳にしたとき、

 

「そんなに俺ってやばいのか。」

「そんなとこまで見られてんの?」

 

と感じたと同時に、心の底から危機感を感じ、

 

「これで変わらなかったら本当に終わりだな。」

 

そう思い、これが最後のチャンスだと覚悟を決めました。

岡ちゃん(岡田優希)の話ともかぶりますが覚悟を決めると自分のプライドなどどうでもよくなりました。(岡ちゃんの覚悟とは比べ物にならないですが)

今の私がみんなの目にはどう映っているのかはわかりませんが。

この覚悟と直接関係があるのかわかりませんが現在はAチームでプレーすることができています。

Aチームでやっているからちゃんとやっているんだろうと思う人もいることでしょう。

そう思われて当然です。

自分がいいときにできるのは当たり前でダメになったときに何ができるのかということが大切だと思っています。

頭ではわかっていますが実際にその立場に立たされた時に私が本当の意味で変わったのかがわかるでしょう。

変わってみせます。

こういうみんなの前で決意表明する場所がないとまた逃げてしまうと思うので、(こんなこと書かなければよかったーと思わないように頑張ります。)

そんな私も来年から4年になります。

チームをけん引しなくてはなりません。

サッカーがうまいわけでもない、がく君(小笠原学)のようにチームを引っ張れるわけでもない。

そんな私ができることは何でしょう。

 

練習に対して高いモチベーションを持ってこれない選手、

日々、試行錯誤しているがなかなか結果が出ず苦しんでいる選手、

もしかしたら来年の1年生にはア式のサッカーについてこれない選手がいるかもしれません。

 

そんな選手たちの想いは痛いほどわかります。

そのような人たちの手助けならできるのではないのかと思っています。(今までそういう人に文句を言ってしまっていましたが…)

バーチ(千葉健太)から言われた献身、誠実、尊重をモットーにラスト1年のア式ライフを送っていきたいです。

 

最後になりますが今まで何一つ不自由なく支援してきてくれた両親には感謝の気持ちでいっぱいです。

部活のために一人暮らしまでさせてくれてありがとうございます。

面と向かって言うのは恥ずかしいのでここで言わせてもらいます。

私は知っています。

父が本当は私の今の状況が気になるにもかかわらず気を使って何も聞いてこないことを。

母がHPに私の写真が掲載されているとそれをわざわざ現像して実家に飾っていることを。

両親が練習試合を見に来たいのにそれを私に言ってこないことを。

公式戦に出てほしいと思っているのにそれを決して口に出さないことを。

両親の想いは口には出さなくてもわかっています。

今までたくさん迷惑をかけた分、公式戦のピッチに立ってゴールを決めて少しばかりの恩返しをします。