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「私たちはどう生きるか」4年・小笠原学

 

🌟小笠原学(オガサワラ ガク)
⚽️横河武蔵野FC → 青森山田高等学校

 


 

 

 

先生「夢はなんですか」

自分「プロサッカー選手になることです!」

先生「へ〜すごいね!」

自分「絶対なります!」

先生「テレビに出るの楽しみにしてるね」

自分「はい!楽しみにしててください!」

 

あれ、小学生の頃の自分はどこにいってしまったのだろうか……

 

大学生になり、いつしか言葉に詰まるようになっていた。

なんて、残酷な質問なんだろうと思うようになった。

 

 

 

 

5歳のときから、サッカーに魅了された。

2002年の日韓ワールドカップで、ブラジル代表が他国を圧倒して優勝したとき、あの舞台に立ちたいと思った。

家の近くの公園で日が暮れるまで、毎日ボールを蹴った。

練習したことが、試合で出せたときはたまらなく嬉しかった。

試合に負けたときはトイレで大泣きした。

「あぁ、生きてる」

サッカーが実感させてくれた。

 

そんなサッカーに区切りをつけることを決断した。

理由は単純だ。上の舞台でやる実力がないから。

 

サッカー中心の生活を続けたいんだったら、JFLや海外チームなど、探せばあるのかもしれない。

 

でも、なんか違う。と、自分の場合は思ってしまった。

 

楽しくやりたい、自分らしくありたい。

それでは満たされなかった。

1番になりたい。

なれないんだったら、サッカーはやれないとなった。

 

1番を目指せばいいじゃん。

こんなところで終わってしまっていいのか。

挑戦する前に諦めるのか。

 

何度も葛藤した。

何度も涙を流した。

 

 

同学年のチームメイトが4名、プロの世界に足を踏み入れる。

その事実を知ったとき、とっさに

「おめでとう!頑張って!」と、心から祝福できてしまっている自分に驚いた。

「あぁ、もう悔しいって気持ちは無くなってしまっているんだな」

 

サッカーの世界ではなく、心の奥底から感情が込み上げてくるような別の世界に出会った。

 

よし、この道でゼロから闘っていこうと思えた。

ただ、サッカーが人生から、なくなることはおそらくない。

 

 

夢を諦めるのは逃げだ。と、ずっと思ってた。

でも、夢を諦めるのってすごく勇気がいる。

だって、今まで応援してくれていた人たちを裏切ることになるから。

今までの自分を否定したようになるから。

自分が自分じゃなくなっちゃうようで怖いから。

 

本当は、知っているんだ。

家族が、

プロの舞台に立っている自分を見ることをずっと楽しみにしていたことを。

諦めたって言い出さなければ、いつまでも諦めなかったことを。

今でも、悔しい気持ちがあることを。

 

だから、輝いてやる。

もっと、いい景色を見せてやる。

 

 

暗闇の中でさまよっているときは、ひとりだけのように思ってしまう。

なんで、自分だけこんなに辛いんだ、苦しいんだって。

でも、さまよっているのは自分だけじゃない。

みんな、その中でも必死に光を探そうとしているんだ。

 

家族が教えてくれた。

チームメイトが教えてくれた。

友が教えてくれた。なんて、幸せ者なんだ。

 

 

世の中からは選択を迫られる。

あたかも、正解はこれだ、と言わんばかりに。

でも、正解を探す必要はないのかもしれない。

どんな選択も、それはそれだ。正解にすればいいんだ。

だって、自分の人生なんだもん。

どうしたいかなんて、他者にはわからないし、自分のなかにしかない。

自分で決めるから、責任という言葉がはじめて生まれる。

まだ、22年しか生きていないから、わからないけど、偉そうなことは言えないけど、きっとそんな気がする。

 

 

サッカーの世界に飛び込むのは自分で決めたことだ。

引退まで、自分らしくやりきればいい、なんてことは思っていない。

優勝しても、もっとできるだろと奮い立つ自分が存在していた。

目に見える結果を出して、責任を果たす。

それが、サッカーに対してのけじめだ。

 

 

 

 

やっと思い出せたんだ。諦めたことで。

やっと思い出せたんだ。終わりが見えたことで。

やっと思い出せたんだ。サッカーに出会ったあの日の気持ち。

 

俺は、サッカーが大好きでたまらないんだってことを。

 

さあ、今日も走ろうか。