🌟榎本大輝(エノモト ダイキ)
⚽️FC東京U-15むさし → 早稲田実業学校高等部
高校時代何も結果を残せなかった。
大好きなサッカーを本気でできるのも大学が最後になるかもしれない。
このまま終わりたくない。もっとサッカーがしたい。そんな思いでア式蹴球部のランテストを受けた。
しかし練習生となって1ヶ月半ほど経った時のことだった。その頃の私は正直サッカーを楽しめていなかった。自分より圧倒的に上手い上級生や同期の存在。高校とは比べ物にならない練習強度。毎日ように上級生からの指導。この環境で4年間サッカーするのは正直厳しいと思っていた。そんな時だった。
「飯が喉を通らない。」
単身赴任中の父から母に電話が入り、それが会話の内容だった。
衝撃的だった。そんな姿を見たことがなかったからだ。
父は精神的に追い込まれていた。
何日か連休があると父は家に帰ってきた。体重は10キロほど減っていた。
帰ってた時は必ず父は自分のプレーを見に来てくれた。「まだまだだな。まあ楽しんでやれ。」試合を終えたあとの父は大体この言葉だった。笑顔はなかったが少し元気になっているのがわかった。
そこでハッとした。俺は何をしてるんだと。家族のために必死に働いてくれてる父がいるのに、どんなに遅く帰っても温かいご飯を作ってくれる母がいるのに、自分は諦めようとしている。あり得ない。自分のことしか見えていなかった。
今まで支えてくれたのは両親だけではない。地元、高校、大学の友達、指導者の方々、本当にたくさんの人に支えてもらい、応援してもらっている。自分が悩んでることがいかに小さいことかと思えた。
「サッカーで恩返しする」
そう決意し、大学でも部活に入ることを決めた。
しかしそんなに甘くなかった。Aチームに上がるどころかBチームの公式戦にもなかなか出られない。
2年の10月からは学連という役職に就き、大学サッカーの運営の活動をすることになった。帰宅が遅くなり、3年後期の時には週に3日は3時間も寝られなかった。忙しい時には練習に出られず、気づくと1番下のチーム落ちていた。肉体的にも精神的にもとてもきつかった。
そんな時、支えてくれたのは同期だった。
学連の仕事も理解し快く手伝ってくれた。「お疲れ様」「サンキュー」と声をかけてくれた。何気ないこの一言にとても救われた。
同期がいたからやってこれた。
2018年10月20日 関東リーグ第17節。
初めて関東リーグのメンバーに入ることができた。とても嬉しかった。やっと恩返しができると思った。
後半残り10分、公式戦初出場を果たした。
全く何もできなかった。
試合が終わり、嬉しい気持ちは少しもなかった。何もできなかった。悔しい。情けない。
全く感謝の思いを表現できなかった。
その日はたくさんの人から色んな言葉をいただいた。改めて多くの人から応援してもらっていることを強く実感した。
だからこそ、このまま終わりたくない。終わっちゃいけない。
まだ何もできていない。
残り1ヶ月半、まだまだできることはたくさんある。
両親、友達、応援してくれている人のために。学連のみんなのために。Bチームのために。そして自分自身のために。
成長して必ずまた出場し、自分自身がやってきたことが正解だったと証明する。
感謝の思いを表現する!
最後まで全力で突っ走る!
最高の仲間と関東リーグ、インカレを必ず優勝する!
長い文章となってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。