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「最後のネバーランド」2年・中山尚英

 

🌟中山尚英(ナカヤマ ナオヒデ)
⚽️セレソン都城FC → 日章学園高等学校

 


 

 

寡黙な人。
淡々と自分に向き合える人。
考えを読ませない人。
謎めいた人。
人に弱みを握らせない人。
常に一歩引いて見ている人。
そんな人物に、私は大きな憧れを抱きます。
そういう人はいつも、私の疑問を予想外な応えで返してきます。
そういう人は、表情に出さず、ただひたすらに自らの課題を自らのやり方で淡々とこなします。
私は、そんな彼らの奥深さや大人びた姿に強く惹きつけられ、腹の中を開いて見れば、とんでもなく壮大なビジョンや野望、奇想天外な発想があるのではないかと思ってなりません。

私はそんな人に憧れ、そうなりたいと思っていました。

 

それから私はあらゆることに対して、常に一歩引いて客観的であることを意識しました。
マイナスなことは、冷たく淡く寡黙に、全く気にしないよう自らに言い聞かせ、強がりました。
そうすると、確か色んなことを考えるようになりました。少し、人より「大人」になれたようで優越感に浸りました。模範となる人物には到底及ばないけれど、同じ部類になったと自分ではそう感じていました。

でも、何か違いました。

私は練習後のふとした時に、ただ思いがけなくグランドを眺めていた時がありました。

ゲバでシュートを外したのか、ひたすらにシュートを打ち付ける選手、ただ紅白戦に負けただけなのにヤグラの下で死ぬほど悔しがる選手、明日試合なのにこれでもかとラントレーニングをする選手…。

彼らに対して、「あからさまだ」と思ってしまうほど、私は凍りついていました。

でも、そんな彼らがとても眩しく、どこか懐かしく、どうしてもまともに目を向けらませんでした。憧れからは程遠い姿のはずなのに、自らに引け目を感じ、劣等感すらも邪魔をしてくるのです。
そんな毎日が続くたび、私は自分自身にむず痒くなってくる…。

 

その時、気付きました。
私は、この空気感に全く相応しくない、そもそもこのグランドに映えていない、と。

そう、彼らは「大学サッカー」にとてもよく映えていたのです。

私はグランドの中で表現することを忘れてしまっていました。
むしろ、私自身は弱さで形成されているのに、そんな弱さを隠し、表現をなくした自分は空っぽでつまらない人間であることを知りました。

結局私は、上手くいかないことに慣れてしまっていました。その失敗と向き合うことを面倒くさがり、都合良く理想像を重ねていただけだったのです。

 

小さい頃の私は、チームで1番叫び、負けた試合の後は毎回と言っていいくらい泣きじゃくりました。そうしてコーチや他の選手から呼ばれていたあだ名は、「泣き虫」。
高校の時も悔しい練習や試合の日は食事が喉を通らないほど落ち込みました。その夜、親父に自主トレを頼んで、誰もいないグランドにナイターを灯しました。ただひたすらボールを蹴って、気づけば時間は21時過ぎという時もしばしば。

きっと今のチームメイトは信じられないかもしれません。
しかし、地元の友人達は、今こんな私であることが信じられないはずです。

周りの皆に、悔しさすらも察しさせない。失敗したと思われたくない。そう強がるうちに、今の私は当たり前の努力すらも怠っていました。私は変に「大人」になろうとし、あの時の姿はカッコ悪いものだとまで考えていました。

 

ただ、今は違います。
あれだけサッカーに一喜一憂し、それを「あからさま」に表現していた昔の自分が、死ぬほど羨ましいです。サッカーのために、ただ必死に生きていたのですから。周りの見られ方など気にしない、ひたすら真っ直ぐに…。

外池さんとの最初の面談でも言われました。
「もっと表現しろ」
半年以上かけてやっとわかりました。というより、やっと思い出すことができました。

 

先日行われた関東リーグ専修大戦での後期初勝利が決まった瞬間、滅多に涙を見せない選手が歓喜余っていました。
それは、本当に美しい瞬間でした。
今の私はピッチの中でこれだけ執着できるか、そんな根本的な問いに答えられない自分に羞恥を覚えました。

寡黙で謎めいた、淡々とこなす客観的な人。そんな人物に対して、決して否定的になったわけではありません。むしろ憧れは増すばかりです。
しかし今の私は、弱さをさらけ出せる「泣き虫」が1番性に合っているということです。
何度も失敗して、顔に出るほど落ち込んで、何かをきっかけにまた立ち直って、また挫折して…。
きっと私はあの頃のように、嬉しいや悔しいをサッカーに対してがむしゃらに表現することが一番楽しいのです。

私は今怪我をし、今シーズン中の復帰は非常に難しい状況にあります。でもだからこそ、私自身の中の色んな想いが見えています。

まだ、「大人」にならなくていい、恥ずかしいことですが、私は大学に「大人」になる準備をしに来た訳ではないのですから。就職に有利、早稲田のブランド、そんな賢い思考は私には出来ません。「大人」という自己責任の領域に入るギリギリまで、サッカーで高みを目指したい、あわよくば幼い頃からの夢をと。そんな私のわがままの為に両親は一浪を許してくれたのです。なんなら思う存分表現すれば良い。
身の程を知れ、現実から逃げているだけだと思う方も時にはいらっしゃる。そうです、逃げています、でも現実に戻るとしたら全ての正しい努力を終えた後でそう判断すれば良い。

 

そんな事を考えながら、身の程を知らず上京してきた田舎者は、復帰に向けて準備を進めています。

残り2年の「大学サッカー」を自らの形で表現し、私の存在意義は関東リーグのピッチの中でありたい、そう強く願っています。

「大人」を目の前にして、サッカーという使者がいつまでも子供のように無邪気に表現したいと願う私を連れて行ってくれる最後のステージ。「大学サッカー」は私にとってそういうところです。

ありがとうございました。