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2年生の想い〜秋葉遼太〜

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私は高校時代大きな挫折を経験した。
勝てばインターハイ出場が決まる一戦で退場し、そのせいでチームはインターハイ出場が叶わなかった。

目の前が真っ暗になった。
3年間全国大会に出ることを夢見て、共に努力を重ねてきた仲間の想いを一瞬で打ち砕いてしまったのだ。
今でもこの時の光景はよく脳裏に浮かぶ。自分はこの重い十字架をこの先背負っていかなければならないと思った。

 

その後全国大会に出場する夢は叶わぬまま高校サッカーを引退し、私は一般受験でこの早稲田大学に入学した。
高校の時は一年生の頃から試合に出させてもらい、二百人近い部員から声援を受けてプレーするという、恵まれすぎたありがたい経験をさせていただいた。
しかし大学サッカーのレベルは高校時代とはかけ離れたものだった。
このレベルの高い環境で自分がついていけるのか、どうやったら試合に出ることができるのかに挑戦したいと思った。
そしてもちろん、高校時代の無念を晴らして、全国の舞台で活躍したいという気持ちもあった。
 

今思えば、自分では立派だと思っていたこの決意は自分本位のものでしかなく、本当の意味で早稲田大学ア式蹴球部員としての自覚や責任を持てていなかった。
この組織に所属している自分に満足し、そこで頑張っているという自分に酔っているだけだった。
ここである程度頑張っていれば自分は成長できるという、甘く自己中心的な考え方しかできていなかった。

 

それに気付かされたのが、今年のチームの2部降格だった。チームが勝てなくなり、降格が現実味を帯びてくる中で、チームに対して何も与えることのできない、何もチームを変えることのできない自分の無力さに愕然とした。
監督やコーチ、先輩に乗っかるだけで、自分という小さな世界でしか物事を捉えられていなかった自分には、いざチームが危機に瀕した時に何かを変える力が無いどころか、何をしたらいいかさえわからなかった。

そして2部降格が決まった。

正直挫折を挫折と感じられないほど、自分とピッチに立っている人との間に差を感じた。
ある意味高校時代の挫折よりもはるかに悔しい、情けない経験だった。

 

 

大学サッカーの魅力は選手一人一人に物語があることだと思う。今書いてきたことも私の物語の一部だ。

 

18歳から22歳という子供から大人への過渡期に本気でサッカーに取り組むということ。
それぞれが異なる環境でサッカーをして、様々な想いを抱えて大学に入ってきた。
ただ純粋に夢を追いかければよかった高校時代までとは違い、次第に現実から目を背けられなくなる。
怪我や環境の違いに苦しむ選手もいる。
自分に対する失望とそれでも自分なら何かできるはずだという期待との葛藤。
サッカーをしている意味がわからなくなり、自分の存在価値を見失う。
それを必死に探す毎日。
その中で訪れる多くの素晴らしい人との出会い。
魂を揺さぶられるような体験。
自分のことを応援してくれる家族、友人の存在。

 

 

こうしたそれぞれの物語の中で、多くを感じ、考え、悩み、それでもピッチに立てば1つのボールを全力で追いかける。
ゴールのために、勝利のために死ぬ気で闘う。
その姿に見てくださる方は何かを感じてくださるのではないだろうか。
私たちのプレーの後ろにそれらの物語が見えるからこそ応援してくださるのではないだろうか。

 

私は見ている方の心に残る何かを生み出すプレーヤーになりたい。 そうした組織を創りたい。
日頃の積み重ねや想いの強さは必ずプレーに表れる。
見ている方は必ずそこに何かを感じてくれる。

 

より大きな何かを感じてもらうために、もっと悩んで、もっとあがいて、勝利のために貪欲にならなければならない。
結果を出さなければならない。
来年必ず一部復帰を果たさなければならない。
大学サッカーの可能性を広げるために。
大学サッカーの魅力をより多くの人に知ってもらうために。

 

 
それができて初めて早稲田大学ア式蹴球部だと思う。

それができて初めて自分の成長に繋がると思う。

 

 
そうした組織、人間になれるように、より濃密な物語を紡ぐために、あと2年という短い時間の中でできる限りのことをしたい。

 
私の周りの素晴らしい先輩、同期、後輩となら必ずできると信じている。