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第二次世界大戦とア式蹴球部

こんにちは。広報の森岡です。

総理大臣杯をベスト16という結果で終え、チームは東伏見で再スタートをきりました。
大阪の地で味わった悔しさを心に刻み、チーム全員で天皇杯予選、関東リーグに向けて気を引き締めてトレーニングに励んでおります。

皆様ご存じの通り、昨日は8月15日、終戦記念日でした。
早稲田大学ア式蹴球部の創部は1924年。
OBの皆様の中にも、戦争を経験された方がたくさんいらっしゃいます。
もちろん当時は今のように恵まれた環境で満足にサッカーをできることなどありませんでした。
そのような厳しい時代を超えて、ア式蹴球部が絶えることなく今につながっていることには大きな意味があります。
今日は少し、第二次世界大戦とア式蹴球部について書かせていただきたいと思います。

1939年にヨーロッパ戦争として始まった第二次世界大戦。
1940年以降、日本の情勢も緊迫の度を加えていきますが、ア式蹴球部は、リーグ戦、朝日招待大会をはじめ関東選手権大会、全日本総合選手権等に出場するなど、活動を続けていました。

1941年に入ると、独ソ開戦、日本軍の南部仏印進駐を皮切りに事態は急転。この年、ア式蹴球部は、リーグ戦や関東6人制大会には出場しますが、朝鮮遠征計画が独ソ開戦による旅行制限で中止となるなど、本格的に戦争の影響を受け始めます。
そして同年12月8日、ついに日本は米、英に宣戦布告。これにより数多くの大会が中止となりました。

1942年ミッドウェー海戦に敗れるなど、日本は、国民の知らないところで戦局の転機を迎えていました。

1943年1月3日、ア式蹴球部は、東西学生対抗で関西トップの関西学院大学を破り、学生王座になります。これが戦前最終の覇権となりました。
この後、戦局は刻々緊迫を加え、公式試合は一切行われなくなったのです。

同年12月1日、ついに学徒出陣の日を迎えます。
ア式蹴球部に所属していた先輩方ももちろん例外ではありません。1939年、1940年に入部された方々のほとんどが出征し、国のために命を落とされました。

この年は、学徒出陣による繰り上げ卒業が行われ、40数名にも及ぶ同期の中で、最後まで残ったのはわずか4人だったといいます。

学生は皆、海軍の整備予備学生や海軍飛行予備学生として海軍航空隊に入隊し、厳しい訓練を受けた後、実施部隊へと配属されました。
サッカーなどするすべもなく、操縦士として(中には神風特別攻撃隊に配属された方もいらっしゃった)戦場に立ち向かい、結果多くの尊い命が奪われたのです。

戦前最後の覇権となった東西学生王座のメンバーも、お一方を除き、戦争により命を落とされたと記録に残っています。

1945年の8月15日に第二次大戦は終戦。
しかし、平和が訪れたとは言うものの、衣食住すべてにおいて危機的状況であったといいます。
幸い戦災を免れた早稲田大学は、教育の場としての機能を再開しましたが、その日の生活にも追われる状況。運動部復興の動きは見られなかったそうです。

1946年に入り、サッカーを愛する学生が集まり、ア式蹴球部の再興が話し合われました。
ほとんどの学生が軍服姿。グランドも用具ももちろんない。食べるものさえままならない状況の中でア式蹴球部の戦後の歩みが始まったのです。
青山東宮御所近くのグランドで始められたという練習には、ボールを蹴る事ができるだけで幸せだというメンバーが集まりました。
戦災を免れたわずかな面々がスパイクを履いている程度で、裸足の者もおり、ほとんどの者がシャツ姿。ボールも戦前からどこかに保管されていたいびつなものだったといいます。

1946年秋には大学リーグ戦が再開。戦後第1回のリーグ戦は、ユニフォームもなく、シャツ姿の選手がゼッケンで敵味方の区別をするという状況で行われましたが、早稲田は優勝。東西学生選手権でも優勝し、日本一に輝きました。

こうして先輩方の思いが実を結び、ア式蹴球部は復興。今に至ります。

上記の話は昨年度、ア式蹴球部として部員全員で「終戦記念日」に向き合うため、ア式蹴球部の歴史書を参考に調べたものです。
今年、こうして改めて記事としてまとめながら振り返り、胸がしめつけられるような思いがしました。

こうした機会に歴史を振り返り、命について考えること、今自分がいる環境について考えることは本当に大切なことだと思います。

東伏見での思い出、遠征先での出来事、大好きなサッカーの思い出を胸に秘め、またもしかするとまたボールを蹴れる日が来ることを夢見ながら戦争により散っていったOB諸氏。
その思いがあることを忘れず、毎日当たり前にサッカーをできることがいかに幸せなことかかみ締めながら、目標に向かって努力していく責任が私たちにはあると思います。

そして東伏見で積み重ねたことを、天皇杯、関東リーグ、インカレで結果として残せるよう、闘い続けていきます。

それでは失礼します。