本日の担当は、三年生関陽南子です。
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今回部員ブログリレー「ア女にいる私」を担当させていただきます、3年関陽南子です。
初めてのブログリレーでとても緊張しています。
何を書こうかなととても悩みました(基本的にいつもいろんなことで悩んでいます)。
試合に出ることも少なく、出てもパッとしないプレー、強豪校から来たわけでも代表歴がある訳でもなく、ましてや女子チームさえ無い高校から来た私のことを知っている人は少ないのではないでしょうか。ですから、私は今回、みんなとは少し違う、「私」がなぜ「ア女にいる」のかということについて書かせていただきたいと思います(わたしにしか書けないことってなんだろう…悲観的な鬱的な重たい文章より、軽く読めて願わくば誰かを前向きにできたらいいな…などと考えました…)。
ところで、私が所属する文化構想学部はいわゆる文学部みたいなものですが(違います)、私個人に限って言えば本当に語彙力、文章力共に皆無です。ごめんなさい。ただ話しかけているように読みやすく書けるよう努めますので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
ア女に入ることを決めたのは高校3年生の秋。学年末試験が終わった頃でした。大阪府の高校に通い、それまで大阪の某国立大学を目指し勉強に励んでいた私は、「本気のサッカー」を辞めるつもりでいました。
学びたいことはあったものの、はっきりとやりたいことが見つからず、また、関西から絶対に出たくないという固い固い意志の下(これは皆さんお気づきの通り後々いとも簡単に崩されるのですが)決めた志望校志望学科。今考えると、その学校の特色よりも、偏差値やネームバリューを見て湧き出る、「ここに行けたら自分凄い」というような気持ちが大きかった気がします。そのほかにもいろんな理由がありましたが割愛します。
学年末試験が終わり、そろそろ周りも受験本番モードになっていく中、ふと開いたTwitter(なぜ開いたかは全く覚えていません)。久しぶりにログインした世界には数々の高校・大学女子サッカー部のアカウントがありました。ログアウトする前にフォローしていたものです。ひとつ見始めると止まりません。手は動く動く。ツイートを遡ること約2時間、私の中のなにかが崩れ始めました。いや、浮き出てきました。
今まで無視してきた「本当にこれでいいのかな」という疑問、なんとなく抱いていた違和感。
「サッカーがしたい」
たったこれだけの答えに辿り着くのに、本当に時間がかかったのです。きっかけがTwitterだっただけで、その気持ちはきっと私の中にあり続けていたのだろうなと今では思います。
本当に一瞬でした。思っていた何倍もサッカーの呪いにかかっていたみたい。一度浮かんできた考えはそう簡単には消えません。調べれば調べるほど、考えれば考えるほど、私の中にある「本気のサッカー」への想いは膨らんでいきました。
しかし、私が両親に「行きたい」とお願いして通わせてもらっていた志望校別の塾や、それまで私の相談に親身になって乗ってくださった先生方の時間、毎日10時間前後を勉強に費やし焦りと共に過ごした夏休み。今更別の学校に行きたいなんて、今まで費やしてきた時間とお金はどうなるの…?大学サッカーって言ったって一体どの…?具体的に考えていかなければいけません。
早速担任の先生に相談したところ進路指導の先生へ繋げていただき、「こんなのもあるよ」と、指定校推薦がとれる大学をずらっと並べてくれました。見渡した時、早稲田しかない。そう思ったのがア女に入った一連の流れです。学びたいことが学べて、サッカーに打ち込める、そんな環境がア女にはありました。いわば一目惚れでした。
幸いにもわたしは環境に恵まれ、自分自身の意思を最大限に尊重してくれる家族とわたしの背中を押してくれる先生方、そして一緒になって悩んでくれる友人がいました。
わたしの「早稲田に行く」「ア女に入る」という選択を、みんなが認めてくれました。
世の中には進路をこんな直前に決める人もいるんです。志望校で悩んでいるそこの君、安心してね。
何度も打ち直し必死に悩んで送った入部希望にプロフィールを添えた新歓宛てメールは、なかなか読んでもらえなくて本当に怖くて、返信が返ってくるまでの間は毎時間かかさずメールチェックをしていました。きっとサラリーマン以上です。嘘ですサラリーマンの方々すみません。たまたまご縁があり川上前監督(当時はコーチでした)と連絡が取れ、インカレ兵庫ラウンドでお会いしていただけることになったことでやっと毎日のルーティンから解放されました(ア女新歓担当のみんなへ:是非新歓メールは逐一チェックしてできるだけ早く返信してあげてください。お願いだから)。
周りがサッカー推薦ばかりだということは百も承知でした(鬼のように不安だった)。
自分が技術的にも体力的にも経験値的にもマイナスからのスタートであり、厳しい戦いになるということも分かっていたつもりです。それでも入部の意志だけは強かったので、不安ともども川上さんに伝えると、
「ア女に入ればね、必ず成長できるよ。」
そうおっしゃってくださいました。その言葉が忘れられません。
正直、「入部したいと強く希望します」と宣言していたため後には引けないけれど、だんだんと不安に苛まれてきていたわたしの心をなんだかフッと、軽くする言葉でした。先ほどア女に入った一連の流れですと説明しましたが撤回します。この言葉を聞いて、私はア女への入部を、自分の意思で、強く、決意しました。周りと比べるよりまずは自分がどうなりたいかだと、改めて気づかされました。本当に感謝しています。
不安でしかないのに、なぜかワクワクしている自分がいました。
高校の友人からはドMと呼ばれていましたが(嘘です呼ばれてはいません)これもそういうことなのでしょうか。
10月頃合格が決まってからは、受験勉強をするみんなの邪魔にならないように走ったりボールを蹴ったり筋トレしたり後輩の体育の授業に出たり(ひとりで走る私を見かねて体育の先生が誘ってくれたからです。変質者ではありません。)文構の教授が書いた本(教科書)を読んだり、少しでも体力を戻そう大学に向けて準備しようと足掻いていました。
ア女に入ってからはわたしの不安通り、心をへし折られては立ち直り折られては立ち直りの繰り返しです。ただ、遠い存在の化け物だと思っていた人たちはただただ負けず嫌いな熱いものを持つ努力家ばかりで、すぐに好きになりました。必死なのは私だけじゃない。そう感じる度にもっと、もっと、と思います。
「ア女にいる」私になれたのは、わたしのわがままになんの文句も言わず支えてくれた家族をはじめ、ここには書ききれない様々な人たちのおかげです。そして、自分の中にある気持ちに正直になって、行動に移せた自分自身のおかげです。
ア女での生活は、もちろん楽しいことばかりではありません。諦めてしまいたくなる瞬間もあります。それでも、未来の自分が今の自分に「ありがとう」って言ってくれるような、あなたのおかげだよって言ってくれるような、そんな選択ができたらなと思います。
つい最近、わたしがすてきだなと思ったことを紹介します(唐突に)。
当時わたしを一番近くで支えてくれた大好きな先生がおっしゃっていた、
「異動する前に、『がんばりすぎません!』って宣言してきた!」という言葉です。
その人がいつも全力だからこその言葉です。
必死にはなる、だけど、がんばりすぎて周りが見えなくはならないように。
自信はいつまで経ってもつかないしなかなか自分を肯定できないけれど、少しでも自分を好きになれるようになったら可能性は広がるんじゃないのかなと思います。
これからも、「ア女にいる私」が楽しく全力で生きていけますように。
だらだらと長ったらしい、何が言いたいのかよくわからない文章になってしまいましたが、
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
わたしがバトンを渡すのは、3年同期の並木千夏です。
すぐに好きになった化け物たち(これ一歩間違えたら悪口やな)のひとりである彼女が、一体どんなことを語ってくれるのかとても楽しみです。
こんな風に書くだけでも、自分の想いや目標を思い返したり改めて自分の考えを整理したりすることができました。
今ある時間を持て余している人がいたら、あなたも是非やってみてください。
文字にすることや、言葉にすることで、自分の知らない自分に出会えるかもしれません。
では、また会える日を楽しみにしています。
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以上です。
明日もお楽しみに。
阪本