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インカレ特集〜4年生の想い・杉原葵〜

何を書こうかな~と思っていたらはや2週間が過ぎました。

部活に入って受けた刺激について?両親や周りへの感謝?出会い?言葉にしきれないなぁ、、なんて自分の日本語と言語化の能力の低さを恨みながらうだうだしていたら提出日当日になっていました。やばい。

そんなこんなしていたら引退まで早くて2週間、長くても1ヶ月。1年の時は一向に進まなかった時が4年になった途端一瞬でした。本当に驚きました。このチームでぎゃあぎゃあ言えるのもあとちょっと。大分寂しいです。

誰にも聞こえない声で変なことを言ってるいる人とか、おいしそうに差し入れを頬張っている人や、大きいダンボールに入って「見て!捨て犬!」って言いながらはしゃいでる人とか。うるさいうるさい。

人間って面白いなぁってこのチームに入ってよく思います。

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前置きはこのくらいにします。ア女のエピソードなんて永遠と書いていられる気がしますが4年生の想いを統括してくれている阪本に怒られそうです。

もう4年も経ったんだな、と思います。

1年の時は部荷物やら何やらで怒られボールをみんなで磨き続けた記憶が残っていて、気付いたら4年も残りわずか。本当にあっという間でした。

ずっと怪我と復帰を繰り返し、正直サッカーでの良い思い出はありません。色々思い出そうとしてもピッチ外でのことがほとんどです。

ではそんな私は何を想っているのか。

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私はサッカーがしたくて早稲田に入りました。今も鮮明に覚えています。2015年に高校を卒業し、サッカーができる大学を探し早稲田の試合を観に行きました。

最初こそ臙脂色ってどうなの?とか安易なことを考えていましたが試合が始まってみれば全然そんなことない。めちゃくちゃかっこいい。一生懸命で泥臭くて最高に楽しそう。あと15番をつけていた選手に一目惚れ。よし、ここ!と早稲田に決めました。

この感情的な決断に悔いはありません。

あるとしたら怪我、復帰後の筋力不足、別の怪我、を繰り返し憧れの人と一緒にボールを蹴れなかったことです。

サッカーが好きでサッカーをするために大学に入ったのに試合はおろか練習も満足に参加できない。先輩、後輩、同期からは「サッカーやりに来たんじゃないの?」と言われ自分自身も何をしに来たのか分からなくなりました。授業のグループワークや就職活動の自己紹介で「早稲田の女子サッカー部です」ということ、「え、すごいね!サッカーやってるんだ!」と言われ返事にひたすら違和感を感じていました。

リハでボール蹴れてないけど。

公式戦に絡んだことないけど。

ゲバも他の選手に比べて出場時間短いけど。

ピッチ外でも存在感示せてないけど。

この虚無感。言い表しにくい。

怪我だろうとメン外だろうとできることはもっとあった。やらなきゃいけないことももっとあった。怪我を言い訳にして楽な方に流れていた。もっとやらないとと思っても一度逃げてしまったが最後、何をどうすればいいのか分からなかった。ただただ怠けてただただ弱かった。

ここで同期の力は絶大でした。学年で集まって「本格的に何してんの」「一緒にサッカーできないの」と怒られ泣かれ不満をぶつけられ、もう何をどうしたらいいか分からないというと頼ってほしいと言われました。もう一度自分と向き合うチャンスをくれました。

復帰して初の練習試合では思うように動けなくて号泣した。夏合宿の走りはバリバリきつかったけど最高に楽しかった。練習試合に出て後輩とサッカーの話が出来たことが嬉しかった。同期にもスタッフにも褒めてもらえて涙が出そうになった。小さなことだけど全部覚えています。

私は自分の4年間に全く満足できていません。

しかし現状に対し腐っている時間はない。今自分にできること、しなければならないことをやる。チームに貢献できる形はこれしかない。最後にはみんなが笑っていられるよう少しでも長くこのチームでサッカーができるように。

なんの面白みもない内容がグダグダと続いてしまいすみません。長々とお付き合いいただきありがとうございました。

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みんなとピッチに立って戦った時間より

自分自身のリハと戦う時間の方が圧倒的に長かった

弱音を吐くことも多かった

しかし、同期の存在が彼女を奮い立たせた

長いリハビリを経てピッチに立った時

どれほどの人達に祝福されただろうか

この瞬間を待ちわびていた人達がどれ程いただろうか

残りこのチームで活動できる時間は限られている

その残された時間で「満足できる自分」にさらに近づけるよう

彼女は日々チームのために情熱を注ぐ

以上です。
次回もお楽しみに!
それでは失礼します。
蔵田