11月21〜22日の2日間、宮城県気仙沼市の新月中学校で、第8回早稲田カップを行いました。
気仙沼での開催は4度目となりましたが、気仙沼稲門会をはじめ、気仙沼市サッカー協会、ア式蹴球部OBなど多くの方のご尽力、ご協力のもと、この大会を開催できたことを心より感謝いたします。
私自身、早稲田カップの手伝いには初めての参加でしたが、この大会が行われるようになった経緯や現在の被災地の状況を聞き、ずっと参加したいと思っていました。今回実際に現地に赴き、気仙沼の子どもたちと触れ合うことで、そのサッカーを純粋に楽しむ姿や、試合を重ねる毎にどんどん成長していく様子から、多くのことを感じることができました。
また、酒店を営まれる菅原文子さんのお話を聞く機会もあり、震災や津波の恐ろしさ、家族を失う辛さ、思うようにいかない行政との関係など、私たちが想像しきれない程の数々の苦しみを抱えながらも、前を向いて、自分のできることを積み重ねながら、精一杯日々を過ごしておられました。
菅原さんをはじめとする現地で復興に携わる方々の強さに心を動かされ、また、人と人のつながりが持つ力、一瞬一瞬を大事にして今を生きることの大切さを強く感じました。
今回の訪問は参加した部員全員にとって素晴らしい経験となりました。
それぞれが感じてきたことを以下に掲載いたしますのでご覧ください。
【1年 春日崇暢】
私は今回初めて早稲田カップに参加させて頂きました。
私事ながら開催地である気仙沼は私の父の実家があったところであり、何度も足を運んだ思い出があります。そのような思いもあり、バスで会場に着いたときは心懐かしい気持ちになりました。
私はバリエンテ本吉を担当しました。みんなとても真面目で静かな印象でしたが、サッカーを通して仲を深めることができました。改めて、サッカーの素晴らしさを感じました。試合を重ねるごとにみるみる成長していく子供たちのたくましさはとても驚かされ、
ひた向きにサッカーを頑張る姿勢は見ていて心を動かされました。自分の小学校時代を見ているような気がし、初心を思い出すことができました。残念ながら、なかなかチームを勝たせることはできませんでしたが、みんなと一緒にサッカーができとても楽しかったです。そして、コーチや保護者の方々には大変お世話になりました。厚いおもてなしをして頂きありがとうございました。この場をお借りして感謝を申し上げます。
また、サッカーの他に酒店を営んでいる菅原さんから震災についての話を聞く機会がありました。正直、この気仙沼で過ごした2日間の中で一番忘れられない出来事となりました。菅原さんから話される言葉の一つひとつが自分の心に重くのしかかり、ショックのあまり涙が止まりませんでした。メディアを通じて知っていたとしても、直接口から聞いた話はあまりにも違いすぎることに痛感しました。また、まだまだ進んでいない復興の現状についてもお話を頂きました。
このような貴重な体験を通じて自分の未熟さを改めて感じました。その一方で、心の中で漠然とですが決心をすることができました。それは、被災地に何か還元することです。どのように還元していくかはたくさんあると思います。しかし、今はサッカーを通じてしかできないかもしれません。だからこそ、全力でプレーし良い報告をできるように頑張りたいと思います。
【1年 石神佑基】
今回ボランティアに参加したのは、震災があってから今まで被災地に足を運んだことがなく、この機会に震災のことをもう一度思い返し、活動をしたいと思ったからです。早稲田カップでは子供たちと一緒に楽しくサッカーをすることができました。子供たちは試合では勝つために一生懸命戦っていて、試合がないときでも休むことなく笑顔でボールを蹴っていました。僕はそんな姿を見てとても元気をもらうことができました。またサッカーを楽しんでプレーすることの素晴らしさを改めて感じられました。
そして今回の活動では気仙沼市サッカー協会の方々やア式蹴球部のOBの方々と早稲田カップ懇親会が開催され、とても貴重なお話を聞かせていただきました。さらに震災の際に津波の被害に遭われた菅原さんからもその時の様子や実感したことについてお話をいただきました。それらのお話を聞き、当たり前のように素晴らしい環境でサッカーができている僕は本当に幸せだと痛感しました。今こうして思い切りサッカーができることに感謝し続けていきます。本当に良い経験をすることができました。ありがとうございました。
【1年 岡田優希】
今回気仙沼ボランティアに参加するにあたり、何か自分がここに来たことによる成果を出すという目標を持っていました。子ども達にサッカーの楽しさを伝えたいと考えました。でなければ自分自身が何かを学んで帰るだけでは、気仙沼の方々に申し訳ない、ボランティアに来た意味がないと考えたからです。
このような目標をたてたのは加藤久さんが復興への取り組むにあたり、「被災地を元気にするのは未来のある子どもなんだ。その子どもを見て大人が元気になり、被災地が元気になるんだ。」とおっしゃっていたことが印象的だったからです。
その成果として自分が担当したチームの子どもが元気に、はつらつとプレーをするようになったことがあります。初日の1試合目とは全く違う姿がありました。伝えようとしたことが少しでも伝わったのだと思いました。
東京にいる自分ができることはこれくらいしかない。サッカーを通して被災地の子どもに何かを伝えること。その取り組みを今後も継続させたいです。
【3年 小林大地】
気仙沼に行く前に東日本大震災の映像をYouTubeで見ました。山積みになった瓦礫、逆さまになった車や地上に上がった船。何万人もの尊い命を奪った津波に言葉を失いました。あれから約5年経った今、自分の目で見た光景に衝撃を受けました。5年という長い年月が流れた今でも完全に復興したとは全く言えない状況でした。津波被害にあった建物がそのままの状態であったり、震災前は建物がいっぱいあった場所はただの平地になっていたり。その中でも車が通れる道路があり、コンビニもありました。最低限の生活ができる環境を作るのに何千人、何万人もの人が極限状態の中で復興に向けて力を注いできたかを考えると、今自分が何自由なく生活できて、大好きなサッカーをできていることがいかに幸せなことか再認識することができました。そして、子供達が無邪気にボールを蹴り、走り回っている姿を見て、サッカーを始めた当初の気持ちに戻ることができました。勝負の世界ではこういった気持ちは忘れがちですが、気仙沼に行って改めて感じたサッカーに対する思いをいつまでも持ち続けてこれからも闘っていきます。
【2年 山本新太郎】
今回気仙沼復興ボランティア活動に参加させていただいて、もっと関わりたい、何かためになることをしてあげたいと感じることの連続でした。私は陸前高田の復興ボランティアにも参加させていただいてとても刺激を受け、今度こそは自分が被災地に何か残してあげたいという思いがありましたが、実際気仙沼の方へ行ってみると、現地の方々の温かさや、運営での熱、準備・計画を行ってくれた役員の方々の尽力にまたも圧倒され刺激を受ける形となりました。また、今回参加してくれた子供たちの元気や輝きには自分を見つめ直し、原点を思い出させてもらう機会を与えてもらいました。活動の中では自分から何か発信して与えることはできなかったと思いますが、こういった経験を生かし、東京に帰ってきて、自分たちの活躍によりボランティア活動以外でも何かを与えていける存在になっていきたいと思いました。また、ボランティア活動を重ねることでより一層早稲田の勝利、優勝というものは価値のあるものになり、多くの人のためになるということを実感できる期間になりました。
【3年 斉藤央】
今回気仙沼ボランティアに参加させていただいて、人の繋がりの大切さを強く感じました。
気仙沼、大学、企業など本当に多くの方の支援のもとボランティアが成り立っています。また、被災者の方の話を聞く機会がありましたが、被災した時に立ち直ったきっかけは他の人の言葉であったり、人を元気付けたいという気持ちなど、人が関連したものだったとお話しされていました。
このような人のつながりこそがいつでも、どんな所でも大切になってくることを学ばせていただきました。
今回、このような素晴らしい機会を与えてくださった全ての方に感謝します。ありがとうございました。
【1年 秋葉遼太】
今回被災地の方に初めて行かせていただき、貴重な体験をさせていただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
子供達がひたむきにそして純粋にサッカーを楽しんでいる姿に震災を乗り越えていく大きなエネルギーを感じました。一方で震災の傷跡が少なからず残っていることも感じました。ある1人の子が一緒にお弁当を食べているときに、「中学にサッカー部がないからサッカーできなくなるかもしれないんだよ」と言っていました。中学の校庭は仮設住宅でいっぱいでサッカーできる環境ではないそうです。それを言われた時自分は言葉につまり何も答えることができませんでした。復興が少しずつ進んでいるとはいえ、まだまだ元通りの生活とは程遠いことを肌で感じました。そして自分が今素晴らしい環境でサッカーをできていることは当たり前ではないと思いました。
自分が今後できることは少ないですが、今回学んだことを忘れずに、そして少しでも多くの人に伝えていきたいと思います。
【2年 須藤駿介】
今回はじめてボランティアに参加させていただきました。自分自身このア式蹴球部に入部する前から、この活動に参加したいという思いがあり、今回参加することができて非常に嬉しく思っています。実際に現地に行ってみると、正直復興には程遠い状態が続いていました。そんな中、早稲田カップを運営していく中で、とにかく明るく元気にボールを追う子ども達にとても感動しました。自分が担当した千厩scは、本当に勝ちたいといった気持ちを出し、格上のチームに食らいつく姿勢は自分自身への刺激にもなり、本当に勇気を頂いてばかりでした。また、被災された方の話を聞く貴重な機会がありました。とても生々しく心が痛かったです。震災当時自分は静岡在住の中学3年で、ちょうど5限目の授業を受けている最中でした。東北が震源地と聞き、家に着きテレビを付けると全番組でニュースとなって放送されていました。何週間も震災のニュースが続きましたが、本当に信じられませんでした。今回の参加で自分自身の無力さを肌で痛感しましたが、これから先もこのボランティア活動に参加し続けて微力ながら何か、与えられるように頑張ります。ありがとうございました。
【4年 山本有一】
今回で6度目の被災地訪問となり、地域貢献担当の責任者として最後の早稲田カップに参加してきました。毎年気仙沼に訪問していますが、気仙沼市サッカー協会会長の小野寺さんをはじめ、多くの方々に歓迎され、また支えられて早稲田カップという素晴らしい大会の運営に携わらせていただいたことに感謝しております。ア式蹴球部員として、サッカー以外の面にも注力してきた中で、この大会を通じて得た経験は、多くの部員を成長させてくれたと感じております。
被災状況を自分の目で見ること、復興状況を肌で感じること、現地の人々の体験談を聞くこと、子ども達とサッカーを通じて触れ合うこと一つひとつの活動や行動に新たな考えや価値観を得ることができました。
また、今回は過去最多である7名のOBの方々や古賀監督に初めて帯同していただくことができました。
鈴木洋一さんをはじめ、OBの方々には、資金援助だけではなく、景品提供やキックターゲットなどのイベントも企画してくださいました。監督にも部員同様に子ども達とサッカーを楽しんでもらい、今までに見たこともないような笑みがこぼれていました。毎度のことですが、元気を与える側の人間が逆に元気をもらっていることを痛感させられています。
最後にこのような素晴らしい環境を用意してくださった気仙沼の皆様方、コーディネーターの橋谷田さん、資金援助や景品提供をしてくださったOBの皆様方、古賀監督と全部員に心より御礼申し上げます。
【2年 安田壱成】
気仙沼へのボランティア活動を通じて改めて肌で感じたことが多々ありました。その中でも1番強く感じたことは今自分がサッカーを本気で取り組める環境が用意されていることは当たり前ではないということです。当たり前のようにサッカーができるグラウンドがあり、練習用具も全て揃っていて自分達のことを指導してくださる素晴らしい監督、指導者がいます。しかし、気仙沼をはじめとした被災地では普段子供たちが体を動かす場所や校庭などに仮設住宅などが立ち子供が遊ぶ場所が無くなっているのが現状だと言われています。もちろん私たちが普段練習で使っている人工芝のグラウンドなど多くはありません。その中でもサッカーをすることができる土のグラウンドで子供たちがのびのびとプレーする姿やサッカーに対する熱い思いを見て感心しました。また私が小学生の頃にお世話になった指導者達と気仙沼ボランティア活動を通じて再開できたことがとても嬉しかったです。私はこの繋がりをこの先もずっと大切にし続けていきたいと思いました。また来年もこのボランティアに参加して多くのものを吸収し得たいと思っています。
【3年 西本八博】
今回の早稲田カップで私自身3度目の被災地訪問で、気仙沼での早稲田カップには初めて参加しました。今回はチームに付いて子供たちと過ごすことがメインではなく、運営の本部担当として参加しました。過去2度とは異なる立場での参加となりましたが、今まででは気づけなかったものが多く感じられたのではないかと思います。
特に感じたのは、この大会に対する多くの方の想いや期待の大きさです。この大会は2日間で全行程が行われましたが、大会を行うにあたって、気仙沼サッカー協会の方々がグラウンドを取ることや、備品の準備をしてくださったり、早稲田のOBの方々が大会を盛り上げるためにキックターゲットや多くの景品を用意してくださったりなど、この2日間を行うためにかけられた時間や想いはとても大きなものであると感じました。そして、期待通り子供達は全力でプレーし、多くの方を魅了していたと思います。普段、東伏見で毎日練習できていることは当たり前なことではないと思います。この環境に日々感謝して結果で感謝を伝えられるよう取り組んでいこうと強く感じました。
最後にこのような機会を与えてくださった全ての方に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
【4年 大丸瞬】
今回初めて被災地復興のボランティア活動に参加させていただきました。東日本大震災から約4年9ヶ月が経ち、私自身の目で復興状況を確認することができました。ほとんど更地の場所が多くあったり、まだ工事が行き届いていない現状を目の当たりにして、あくまでも主観ではありますが、再生するにはまだまだ長い年月が必要なのだと感じました。
懇親会の挨拶の中で部員の多くから「子供たちにパワーをもらいました。」という言葉を聞きました。確かに私も子供たち、地域の方々に元気をもらったことは間違いありません。ですが、この大会自体を俯瞰した時に、部員たちと楽しそうにサッカーをしている子供たちであったり、それを見守っている父兄の方々、地域の方々に、私達自身もわすがではありますが、周りの人々に良い影響を与えることのできる存在であることも、同時に知ることができました。これから始まるインカレでは一人でも多くの人の心を動かせる試合をしていきたいと思います。
【2年 木下諒】
気仙沼のボランティア活動に参加するにあたり、自分たちの行動、振る舞いを通じて被災した地域の子どもたちに少しでも元気を与えたい、そんな想いで臨みました。しかし、元気をもらったのは逆に自分の方だったように終わってみて感じています。子供たちは純粋で、環境に文句1つ言わず、目の前のこと1つ1つを全力で頑張る。当たり前のことかもしれませんが、そんな姿勢を持ち続けるのは難しいです。だからこそ自分自身刺激を受けたと感じたのかもしれません。担当した千厩SCさんには本当に感謝しています。
また、被災した地域の様子を自分の目でしっかりと見てきました。震災から約5年になりますが、復興にはまだまだ時間がかかるのが現状です。建物は少しずつ建ち始め、着実に進んではいます。ただ問題はいくつもあり、現場に行くことでしかわからないような状況にも関わらず、国の判断で進められていることがあり、話を聞く中で「なぜ?」と疑問に思うことが多々ありました。それは難しい問題であり、自分が考えても正直何が正解なのかわかりません。じゃあ何ができるかと考えると、震災を風化させない、忘れないこと、このことは自分にもできそうです。世の中で被災地の様子が報道されるのは日に日に少なくなっています。そのため、そういった地域のことを考えることも減っているのが現状です。だからこそこの機会に多くの人に少しでも被災地のことを考えて欲しい。そんな想いをもって、こうして文章にしました。福島で震災を直に体験した1人の人間として東北、福島には常に思いを寄せていきたいです。そしてまた来年とは言わず、今の自分にしか出来ないことを少しずつ見つけていければと思っています。
【2年 今来俊介】
今回初めて被災地でのボランティア活動をさせて頂きましたが、2日間という短い中でも本当に多くのことを感じることができ、とても有意義な時間を過ごすことができました。
私が担当したエスペランサ登米FCの子供達は、一つのミスに対して厳しい声が飛び交うような、そんな勝敗へのこだわりがとても強いチームでした。だからこそ応援したくなるし、勝たせてあげたいなと思いました。真剣勝負のぶつかり合いは見ていて楽しいし、心が動かされます。私たちも応援してくださる多くの方々に感動を与えられように、勝ちに対するこだわりをもっと表現しなければと改めて感じさせられました。
また、2日目に夕食をとったお店の常連客が、「著名人や多くのボランティアの方達が来るのは気仙沼や陸前高田など有名な町ばかり。少し離れると復興の進行度や町の盛り上がりは全く違う。」と仰っていました。震災の報道がただでさえ風化されつつある今、実際に現地に行ってみないとわからない現状が多くありました。復興支援を被災地全体により広げていかなければいけないし、そのためにも私たちにできることは何なのかとても考えさせられました。
このように多くのことを経験させていただいた、今回の早稲田カップ開催にご尽力してくださった方々に本当に感謝したいです。ありがとうございました。来年も行きたいと思います。
【3年 下島健】
気仙沼での早稲田カップに参加するのは今回で3回目となりました。
いつも現地の人のために何かできればと思って参加しますが、今回も自分がなにか与えることよりも、自分が感じたり、与えられることの方が多かったと感じます。
子供たちが楽しそうにサッカーしている姿、本気でボールを追いかける姿から元気や勇気をもらいました。
また、自分がどれだけ恵まれた環境でサッカーができているかということを改めて感じました。どれだけの方々の支援のうえに自分たちの生活があるのか考えさせられました。感謝の気持ちを忘れずに日々生活していかなくてはいけないと強く感じました。
このような貴重な経験を今後の生活に生かし、繋げていきたいと思います。また、現地の現状、この2日間で感じたことを発信していこうと思います。
【3年 樫尾和明】
自分は今回、早稲田カップに初めて参加し、同時に震災後初めて被災地を訪問しました。
「ボランティア」とは名ばかりで、現地の子供たちからエネルギーをもらい、実際に被災された方の貴重な体験談を聞かせて頂き、もらうだけもらって帰ってきたなというのが正直な感想です。
気仙沼の方たちは毎日負けまいと、復興に向けて強い信念を持っていました。自分たちが普段置かれている環境や悩みであったりが、どれだけ贅沢なものなのかを痛感させられました。
現地にいた2日間は主にグランドで子供たちと接する時間が長く、震災に対して何かこれといって貢献できたと実感できるものがありませんでした。
しかし今度のインカレで早稲田のア式蹴球部が優勝したと伝えることができれば、今回お世話になった気仙沼の方たちにも多少は喜んでもらえるのではないかと思っています。自分たちにできる関わり方として、結果の報告で被災地を勇気づけられるように、優勝に向けて日々取り組んでいきたいと思います。
【4年 小長谷勇太】
私は今回初めて、被災地である東北の地を訪れ、早稲田カップに参加しました。たったの2日間の交流でしたが、今回の訪問は自分の人生の中で大きな経験になりました。サッカーの他に仮説商店街に訪れたり、復興しきれていない街並みを見たり、現地の方の生の声を聞いたりと、様々な東北の今の姿を知ることができました。そしてこの現状には問題が多くあると思いました。この経験を自分の今後に活かしていかなければ行けないと強く感じました。
私が担当した、気仙沼シャークスのみんなはとても明るく、たくさんの笑顔と底なしのエネルギーに、逆に自分が楽しませてもらいました。しかし、この子供たちが震災の被害を受けていて、自分が想像すらもできない心の深い傷を負っていると思うと、とても悲しく、自分が何気ない日常を送れていることがとても恵まれていて、感謝しなければいけないと感じました。
最後に、別れ際にしっかり挨拶できなかった気仙沼シャークスのみんな。
本当にありがとう。
僕は本当にエネルギーをもらい、気仙沼シャークスのみんながとても大好きになりました。最後に別れるのはすごく悲しくて、もっと多くの時間を一緒に過ごしたかったです。
これから、みんなに負けないようにしっかり人生を、生きて行きたいと思います。
【4年 牟田翼】
今回、陸前高田、気仙沼あわせて5度目の被災地ボランティアに参加させていただきました。
改めて、大学からの援助、OBからの援助、そして気仙沼サッカー協会の方々のあたたかさを感じた活動となりました。
これまでの活動で、復興に向かっていく被災地を見たり、温泉のサウナで会った現地の方から震災当時の話を聞いたり、さまざまな経験をしてきましたが、今回、菅原文子さんという方から忘れ得ぬお話を聞かせていただいたことが最も衝撃的でした。自分の愛する人が目の前でいなくなるなんてどれだけ辛いだろうか、きっと思い出したくないはずなのに、涙ぐみながら菅原さんは私たちに話してくださいました。菅原さんが書かれた「あなたへ」という恋文があります。少しでもたくさんのひとに読んでもらいたいです。
一人ひとりができることは限られていますが、そのなかで自分ができる精いっぱいで復興のお手伝いをしていきたいと思っています。
【4年 恩田雄基】
私は、今回初めて早稲田カップに参加させて頂きました。
私は2日目にOBの方々のご厚意で陸前高田市を訪問しました。奇跡の一本松を見たりして、これまでテレビを通してしか知らなかった風景を現実として見て、感じて多くの事を思いました。そこはとても復興が進んでいるとは言い難い世界でした。倒壊した建物や海が全く見えないほど高い防波堤、そして建物がほとんどないまっさらな広い土地を見て被災地の現実を見ました。風化がこわいという被災地の方々の言葉の意味が本当に分かったような気がしました。来年から社会人になる私は今後何をすることできるのかを考え行動していかなければならないなと感じました。
また、今回の大会を通じて子供たちのエネルギー、そして改めてスポーツの素晴らしさを感じました。サッカーをしている時の子供たちは本当に楽しそうで心の底から楽しんでいました。それを見た私達大人もみんな笑顔になっていてとても幸せな時間でした。サッカー、そしてスポーツの素晴らしさを強く感じました。
今回早稲田カップに参加させて頂いて多くのことを思いました。では、今ア式蹴球部員である自分にはまず何ができるのか。それはこれから始まるインカレで優勝することだと思っています。感謝の想いや被災地の皆様にポジティブな何かを感じてもらうには結果で示すしかないと思っています。様々な思いを力に闘って参ります。
最後にこの場をお借りし、早稲田カップ開催にご尽力いただいた皆様をはじめ、気仙沼の皆様、そして今大会担当させてもらっただけでなく臨時監督までさせてもらったFC大谷のみんな、全ての方々に感謝を述べさせていただきます。ありがとうございました。
【4年 日高裕介】
今回のボランティアは2回目でした。2年ぶりの参加だったのですが、担当したチームのコーチは覚えていてくださり、快く出迎えていただきました(子供たちは忘れていましたが)。担当したコーチがおっしゃっていたのですが、被災地のためにお金や食料を送ってくれるのはありがたいことだけど、それ以上に直接会いに来てくれることが一番うれしいことだと話してくださいました。今回のボランティアではまた訪れたいと思うような人との出会いがあり、また人とのつながりの大切さを実感することができました。いつ、どんなときに、自分の悩んでいることを解決してくれる人物が現れるかわからないのにも関わらず、人を選んで聞く耳を持ったり持たなかったりしてしまうことが多いと、生活を振り返って気づきました。
今年度で卒業することになってしまいますが、機会があればまた訪れたいと思います。ボランティアは現地の方々を手伝うこともそうですが、学ぶことが本当に多い経験だと思うので今後も自分から求めて人との出会いを大切にしていきたいと思います。
【3年 東浦壮一朗】
大学1年から毎年参加している気仙沼ボランティアも今年で3回目。3回目だからこそ見えたものが多くあった。
担当させていただいたのは、昨年と同じ南三陸FC。担当チームを知らされたのは前日夜に東伏見を出発した夜行バスの中だった。昨年撮った写真を眺めながら、子どもたちは覚えてくれているか不安だったが、当日顔合わせするとすぐに僕の名前を呼んでくれ、子どもだけでなくコーチの方とまで昨年の話で盛り上がった。とても嬉しかったがさらに嬉しいことに、子どもたちのプレーはひと回りもふた回りも成長していた。みんなの1年間の不断の努力が想像できた。ドリブル、パス、シュート何から何まで昨年とは別人。何よりも楽しそうにサッカーしている印象だった。終わってみれば、準優勝。またしてもみんなのプレー、笑顔、元気にエネルギーを頂いた。しかし、来年こそは優勝したい。
また、今回の気仙沼で新しい行程である、『すがとよ酒店』3代目女将菅原さんのお話は貴重な体験だった。津波の怖さ、人が死ぬということ、復興に向けた取り組み、完全復興とは程遠い現状などたくさんのお話をお聞きできた。その中でも特に、津波に幸せの多くを奪われてしまったものの商いというものに改めて向き合いお店を再開した、前を向いて歩き出した勇気。困難あってこその幸せがあると言える心の強さ。そして君たち若者にはどんどんチャレンジしてほしいというアドバイスには心を打たれた。当日お伺いしたプレハブの店舗は来年には立ち退かなくてはならず、被災前の土地に移る『すがとよ酒店』。復興の兆しとなるように頑張るつもりです、という菅原さんの言葉がとても印象的だった。
最後に、3回目の参加にして改めて気付かされたものとして、今回も当たり前のように気仙沼市立新月中学校をお借りし、当たり前のように計8チーム約100人の子どもたちが集まりプレーし、当たり前のように僕たち部員が大会を運営できたことは、気仙沼市サッカー協会や稲門会、WMWなどたくさんの方々の多大なるご尽力のもとに成り立っていること。感謝を忘れず、また1年後みなさんに再会したい。
このように、様々なことを感じて帰ってきましたが、今回の取り組みで得たものをそれぞれの日々の生活に生かしていかなければなりません。
また、震災を風化させず復興を支援し続けるとともに、ア式蹴球部として、タイトルの獲得や部員それぞれの活躍の知らせを今回関わった方々へ届けられるよう努力していきたいと思います。
自分たちにできることはそれぐらいしかありませんが、その積み重ねがア式蹴球部にとっても、気仙沼にとってもプラスに働いていくと信じています。
ア式蹴球部の発展を気仙沼の発展に、気仙沼の発展をア式蹴球部の発展につなげられるよう、時間はかかるかもしれませんが、ともに歩んでいければと思います。
まずは、明日から始まるインカレで優勝して日本一になり、良い報告ができるようチーム一丸となって闘っていきます。応援よろしくお願いします。