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4年生の想い『使命〜最高の最後に〜』 築地育

本日の担当は#10築地育です!

皆さんこんにちは、ア式蹴球部でぐんぐん育ってきました築地育です。
とうとう4年生の想いを書く時期になってしまいました。
インカレが近づき1日、1週間の過ぎるスピードがどんどん加速しているように感じます。

4年生の想いを書くにあたって何を書けばいいのか悩み、歴代の先輩方の4年生の想いを遡り読ませていただきました。
一度は読んだことのある文章も4年生という立場で読むと、また違った感情が湧いてきました。
とはいえ、その人の4年間があって、その人にしか書けない想いだと分かり、率直に築地育の想いを綴っていこうという結論に着地しました。

長くなっていますが、
お時間があるときに読んでいただけると嬉しいです。

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日本一への想い

2022年1月6日
試合終了のホイッスルが鳴ったとき、私は一面真っ白なピッチに立っていた。誰と喜びを分かち合えばいいか分からず、ただその瞬間を目に焼き付けようと雪で霞む西が丘を見渡していた。

雪の女王となったア女。
私にとって初めての日本一

ただ、私は日本一になった気がしなかった。

私は、1-0の状態からたったの15分ピッチにいただけ。覚えているのは、SBのカバーに入りサイドを突破した相手のボールをスライディングで外へ切ったプレーくらい。そのプレーで自分に言い聞かせた。
「大丈夫、闘った。」
そう思わないとその場に居られなかった。

日本一になった喜び以上に選手としてピッチに立った時間の短さやその時間内に活躍できなかったことへの悔しさが何十倍も上回っていた。試合後にかけられる「おめでとう」も素直に受け止めることができなかった。周りの笑顔を真似ることで精一杯だった。

(自分がいなくても日本一になってたなあ…)

今思えば、それはそのシーズンの自分の過ごし方からくるものだった。練習、試合はもちろん120%で取り組んでいたが、『ア女のために』『ア女の一員として』、日本一の行動、言動ができていなかった。私は「ア女」になりきれないままそのシーズンを終えていた。

今は違うとはっきり言える。
ア女日記にも綴ったとおり、ア女での日々を積み重ねるにつれ”チーム”についてたくさん考えてきた。ア女のために全てを捧げてきた。
グランドへ向かう道、練習前、練習中、練習後、帰り道、授業中、自炊中、家事中、寝る前、起きてすぐ、下手したら夢のなかでも…
気がつくといつも「日本一のア女」について考えていた。

そうして過ごすなかで、自分の想いが変化していたことに気づいた。

私が日本一になりたいんじゃない
『このチームで、ア女として日本一になりたい』

みんなで闘っているのだから当たり前だと思うかもしれないけれど、入学当初の尖った考え方の自分からは想像できない変化かもしれない。

この一年ずっと厳しいことを言ってきた。
日本一に必要だから伝え続けてきた。
このチームで日本一になりたいから示し続けてきた。
周りの仲間たちにどう映り、どう伝わったかは私には分からないけれど…

私がこれまで感じてきたア女はどのシーズンも本当に強かった。個人の強さはもちろん、組織としての強さがあった。それでもシーズンの目標に届かなかったり、日本一になれなかったり、悔しさを味わっていた。
それなら、「最弱の代」と囁かれていた私たちはもっともっとやらなきゃ日本一なんてほど遠いと思った。

自分にも、チームにも厳しく、完璧を求めていた。

それを突き通した今シーズン。
それが良いのか悪いのか、伝え方やバランス、タイミングが最善だったのか、振り返って反省したり、葛藤したりすることもあった。
でも、いくら考えても分からないし答え合わせもできない。
ただ、後悔はしてない。

インカレまで残された時間もほんのわずか、
正直にいうともっともっと時間が欲しい。
まだまだ日本一をとる組織になれていないように思える。
だから、最後の最後まで私は求め続ける。
チームにも自分にも
日本一のア女になるため
翔頂になるため
大切だと思うことを伝え続ける。

きっと日本一を目指すどの大学もそれ相応の準備をしてきている。必要なこと全部やってくるだろう。
本当にやるべきことをやり切ったとき、
そんな大学同士がぶつかるとき、
勝利を手繰り寄せるために必要なことはなんだろう。

“チームのために闘える仲間”
“チームのために踏ん張れる仲間”

そんな人間が1人でも多い方が強いんじゃないか…
そこで差をつけるのが『ア女』なんじゃないか

4年前にそれができなかった私は
最後の瞬間までそれを自分の使命として
全うする。

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感謝の想い
書ききれないほど多くの人に、伝えきれないほどの感謝がありますが、この場を借りて少し感謝の想いを綴ります。

まずは、大学進学を選択し、ア女を目指し、必死に調査書と小論文を書き続けた高校3年生の自分へ。
その選択をしてくれてありがとう。
そして、多方面で支えてくださった母校の先生方、指導者の方々ありがとうございました。

早稲田大学、ア式蹴球部は、ここでしかない経験と出会いをさせてくれた。
そして1番は、自分の弱さに気づかせてくれた。向き合わせてくれた。
選手として、人として成長すべき姿、乗り越えるべき壁を挫けそうになるほどに与えてくれた。

それをどう乗り越えたかまで話すと4年間は必要になるだろう(笑)
ただ、一つ言えるのは自分だけでは乗り越えられなかったということ。
私と繋がりを作ってくれた全ての人が
私に力をくれました。
ありがとうございます。

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築地家へ

急に始まる家かくれんぼ
家にあるものでやる仮装大会
モノマネ大会
お母さんのダンスショー
筋トレ大会
お母さんを寝室まで送る儀式
まめちゃんの散歩
4人で食べる夜ご飯

こんな日常からたくさん愛を注がれ
唯一無二の築地家だからこそ重度のホームシックになりました。

何度もサッカーをア女をやめたいと思ったけれど
ときに厳しく、ときに優しく前を向かせてくれて
ありがとう。
サッカー中心の人生になって17年
今では私を1人のアスリートとして
支えてくれています。

食事や用具、生活環境にこだわりの強い私に
何不自由なく大学生活を送らせてくれました。

試合、遠征のせいでお留守番の多いまめちゃん。
実は妹の試合を気にして、周りの人に宣伝してくれているお兄ちゃん。
永遠のサッカーの師匠で、1番のサポーターでいてくれるお父さん。
人生の師匠、1話すと10で返ってくる娘想いのお母さん。
築地家に生まれて幸せです。
ありがとう。
これからもよろしくお願いします。
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ア女での4年間どんなことがあったか振り返る。
その時のリアルな感情に引き戻されるように思い出せる。

【悔しい時】
ボードに名前がないとき
怪我で外から練習をみているとき

【苦しい時】
練習の最後にタッチラインに並ぶよういわれるとき
主導権を相手に握られるとき
熱量に差を感じるとき

【腹が立つ時】
意見が食い違ったとき
思ったようにプレーできないとき

【嬉しい時】
やっとの想いでゴールネットを揺らしたとき
髪を切ったのを気づいてもらえたとき

【楽しい時】
グランドの脇でその日起きたおもしろ話をするとき
プレーが阿吽の呼吸のとき

【寂しい時】
ホームシックのとき
グランドが真っ暗になったとき
最後が近づいてると実感したとき…

壁にぶつかってもなんとか乗り越えようともがいたときも
汗か涙かわけわからなくなりながら競い合った日々も
全身の血が湧き上がり、鼓動が高まるあの瞬間も

全部昨日のことのようだ。

そんな時間を仲間と共に過ごせたこと。

私の宝物

いろんな感情を共にした仲間たち
そしてそれを通して共に成長できた。
ありがとう。

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最高の最後

早稲田じゃなきゃ
ア女じゃなきゃ
今の”築地育”にはなれなかった。
“ア女の築地育”になれたことを嬉しく思う。

インカレを間近に控えた今
現時点でどんな時間も全部含めて
最高の4年間だった!
と心から思える。
それぐらいやってこれた。

ただ、どんなに頑張っても
“ア女の築地育”としてサッカーができるのは、
このチームで闘えるのは、
1月6日まで

それだったら

この最高だった4年間の最後を

『ちょー最高だったア女での4年間』

にしたい

築地育は欲張りだから…

ふみさんは嫌がるかもしれないけど

ふみさんをみんなで胴上げして

私の4年間を

締めくくりたい

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彼女は、
常に周囲に刺激を与え、
チームを牽引してきた。
圧倒的なボール奪取力で観客を魅了し、
どんな時でも全力で闘う姿勢は
多くの人々の心を動かした。

幾度となく厳しい言葉をかけてきたが、
それは全てチームを想う気持ちから。
仲間を信じ、
共に前へ進むための行動だった。

どんな瞬間でも努力を惜しまず、
周りを笑顔に変える明るさを持ち続ける。

そんな彼女の姿に、
私たちは何度も救われた。
最後の一瞬まで、
彼女と共に
全員で熱く泥臭く闘い抜こう。

﨑岡