🌟山田晃士(ヤマダ コウジ)
⚽️アスルクラロ沼津U-15 → 浦和レッズユース
今回日記を担当する社会科学部2年、山田晃士です。
今回の日記では自己紹介と異文化コミュニケーションという学問のPRをしたいと思います。
私は1998年(平成10年)12月31日に東京都大田区の蒲田で生まれました。蒲田には2歳ごろまでしかいなかったらしいので私自身全く蒲田にいたことを覚えていません。ちなみに「山田晃士」という名前の由来は、姓名判断でいい画数だったからと親から聞きました。いい名前だと思います。
蒲田から横須賀にある父の実家に引っ越し、4歳までそこで過ごしました。そして、4歳から同じ神奈川県の湯河原町に引っ越しました。湯河原町には中学3年の1月までおり、発達段階の長い時間を湯河原で過ごしました。サッカーを始めたのは湯河原に来てからです。小学校1年生から始めました。最初は健康のためでした。親が何もしないのは体に良くないというので近所でやっている少年団に入りました。このような動機のため、最初はサッカーがものすごく好きというわけではありませんでしたが、ずっとやっていく中でサッカーが少しずつ好きになっていきました。
中学ではセレクションに合格したアスルクラロ沼津U-15に入団しました。神奈川県に住んでいましたが、通える距離だったので静岡県のチームに行っていました。ここはサッカー関係の人に出身を聞かれたときに少し説明が面倒なポイントです。ちなみに入団当時はACNジュビロ沼津というチームで、私が中学3年生になるときにアスルクラロ沼津U-15という名前に変わりました。
高校は浦和レッズユースに入りました。スカウトの方に初めて声をかけていただいたときはとても驚いたのを覚えています。地方からレッズのユースに入るにあたり、高校受験をするために中学3年の1月からレッズの寮に入り、中学も転校します。なかなかできない経験でした。
そして今、早稲田大学に進学し、ア式蹴球部でサッカーを続けています。社会科学部には自己推薦入試で合格しました。
以上が私のこれまでのキャリアです。さてここから異文化コミュニケーションに話をつなげるために一つ質問を投げかけたいと思います。
あなたは私の経歴と全く同じ道を歩んでいるでしょうか、もしくは、あなたは他人と全く同じ人生を歩んでいるでしょうか。
この質問にYESと答えられる人はいないと思います。
他人と全く同じ人生を歩んできた人なんて存在しません。私が歩んできた道はオンリーワンです。私はオンリーワンを持っています。同様に、この日記を読んでくださっているそこのあなたもオンリーワンを持っています。そしてあなたの隣人もオンリーワンを持っています。何が言いたいかというと、生まれも育ちも同じ人などいないのだから、自分以外はみな文化が異なるという事です。異なる文化というと国や地域における目に見える文化の違いを考える方が多くいらっしゃると思いますが、それだけでなく隣人や友達といった狭い範囲でも文化の違いは存在します。文化というのは言語や食事、芸能といった目に見えるものだけでなく、コミュニケーションスタイルや価値観など目に見えない文化というのもあり、私たちの実生活の近くに存在しています。つまり、私たちの生活は常に異文化と接しているのです。これが異文化コミュニケーションです。
私は早稲田で異文化コミュニケーション研究のゼミにはいっています。大学から学び始めた学問分野ですが、とても面白いと思っていますし、とても日常的で身近な学問だなと思っています。多くの方が異文化コミュニケーションに関する知識を持つことで現代のグローバル化、多様化した社会が生きやすくなるのかなと思っています。なので、多くの方に異文化コミュニケーションに関心を持っていただき、この学問が世間的に周知され、この学問がより発展し、多くの方がこの学問を実践するようになってほしいと願っています。今回の日記でこのテーマを取り上げたのもそのような願いがあったからです
今回の日記で自己紹介と異文化コミュニケーションのPRというテーマを取り上げた理由は、単純に自分を知ってほしかったのと、異文化コミュニケーションに関しては先述した通りです。かなりまとまりのない文章になりました。ここまで読んでいただいた方には本当に感謝申し上げます。
この文にお付き合いいただいたように、ア式蹴球部とも長いお付き合いをしていただければと思います。
どうかよろしくお願いします。